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自意識高い系男子。アラフォー。
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『世間による恐怖政治』が終焉した時代に

かつて、流行についていくことは『義務』だった

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私が中高生だった90年代、世間で流行しているTV番組や音楽を消費することは、私たちにとって『義務』だった。世間の流行に関する知識がなければ、学校や職場での話題についていけず孤立し、辛い学校生活を送ることを余儀なくされた。

だから人々は皆、世間の流行に必死でついていこうとした。あの時代には、マスメディアの主導によりJ-POPが今とは比べ物にならないくらい売れまくっていたが、当時の消費者の中には本音ではつまらない、くだらないと思いつつも、世間に合わせるために無理をして消費に参加していた層がかなり多くいたハズだ*1

流行に限らず、学校や職場で友人や仲間を得、快適な人間関係を築こうと思ったら、周囲の人間に合わせなければならなかった。たとえ、その場に本音では全く気の合わない人間しかいなかったとしても、他に『世界』は存在しなかったので、そこに合わせるしかなかったのだ。


00年代、インターネットの普及により、事態は徐々に変わっていった。ネットは、私達の交友範囲を、『世界』を。それまでとは比較にならないくらい大きく拡大してくれた。それまで、普段の生活ではなかなか同士を見つけることができなかったマイノリティも、ネットで簡単に仲間を見つけ、交流することができるようになった。職場や学校という強制された場所ではなく、もっと自分に合ったコミュニティに、人々は簡単に所属することができるようになったのだ。


世間の同調圧力の消失は、趣味や消費の領域に留まらない。たとえば、結婚。

90年頃まで男女共に5%を割っていた生涯未婚率はその後徐々に上昇を続け、平成22年の段階で男性20.14%、女性10.61%まで上昇している(参照)。未婚率の上昇については、若者の貧困化が槍玉に挙げられることが多いが、それよりも「本音では結婚したくなかった人々が結婚しなくなった」という要因が大きいのではないかと私は疑っている。

かつて、結婚しない男女は1人前とはみなされない風潮があった。「独身者は管理職になれない」など、実質的な被害を被るケースもあったと聞く。さらにひと昔前になると、お見合いなどで人々は半ば強制的に結婚「させられて」いた。その中には、世間の眼を気にして希望しない相手と希望しない形で、嫌々結婚していた人間もかなり含まれていたのだと思われる。

そうした人々が無理をしてまで結婚する理由は、もはや存在しない。世間の圧力は弱まり、ネットで独身仲間を探すことも容易だ。社会的にも、コミュニティ的にも、生涯独身で生きるためのインフラが、現代社会では充分すぎるほどに整っている。結婚は、オワコン化した。


世間による『恐怖政治』の下で、これまで社会は維持されてきた

こうして人々は、本音で生きられるようになった。

かつて、人々が世間の眼を過剰に意識していた背景には、さもなくば所属するコミュニティから排除され、迫害されるという恐怖心があったが、個人主義の浸透と、それを後押しするかのように登場したネットの出現は、世間による『恐怖政治』を完全に骨抜きにしてしまった。

私はこれは、素晴らしいことだと思う。かつての社会は、世間による恐怖政治の下で、人々が社会のために犠牲を強いられる社会だった。そうした人々の犠牲によって社会システムは回り、秩序は維持されてきた。

しかし、世間はもはや、人々を縛り付ける力を失った。あなたは、私は、自分が本当に好きなことをして遊び、本当に好きなコミュニティに所属し、本当に好きな相手と付き合い、本当に好きなことを言うことができる。私たちは、世間による恐怖政治から解放されたのだ。


現在進行している非婚化とそこから派生した少子化は、世間の弱体化が大きく関係していると私は考えている。このことを、「このままでは社会が維持できない。個人のワガママだ」として問題視する向きもあるだろう。

しかし、私はそうは思わない。人々が世間による社会的圧力の下で我慢を強いられ、その上でかろうじて維持されてきたのがこれまでの社会だったのだとしたら、そんなものは禄なものではない。人々が好きなように本音で生きたうえで、それでも維持できるよう、社会システムのほうが変化するべきだろう。それこそが、より多くの人間が幸せになれる道なのだと私は考えている。

それに、仮に人々が好きなように本音で生きた結果として社会が滅んだとして、それが私個人の幸せな人生と、なんの関係があるというのだろう?その頃には、とっくの昔に私は死んでいるのだ。

*1:私もその一人だ。