友人にカネを貸すときは返って来なくても許せる範囲内にしておけという教訓と同じように、人間を信頼するときは裏切られても許せる範囲内に留めておかなくてはならない

しばしばこのブログでも書いている、行きつけのバーで男女関係のトラブルに巻き込まれた。

信頼していた友人から、1年間ずっと騙され続けていた。

裏であれだけの事をしておきながら、よく俺の前で平然とヘラヘラ友人面していられたものだ。

あいつの名前を思い出しただけで、はらわたが煮えくり返る。

俺はもう、生涯あいつを許すことはできないだろう。



ツイッターのミュートキーワードにあいつの名前を登録した。さん付け、呼び捨て、@id。呼ばれる可能性のあるあらゆるパターンを想定して。

バーの話題を見るとあいつのことを思い出してしまうので、店の名前も登録した。

共通の友人も同様に、全員ミュートした。



なによりも辛いのは、俺はもうその店に行けなくなってしまった事だ。

10年近く常連として通った様々な想い出があり、そこで出会ったたくさんの友人たちがおり、

「例の彼女」の亡霊に苦しんでいた時代の最大の救いの場所として機能してくれていた大切なあの場所へ。



それでもあいつと同じ場の空気など、もう2度と吸いたくない。

もしもいま目の前にあいつが現れたら、一切の躊躇なく刺し殺す自信がある。

あいつがした事を、バーの人間は誰も知らない。

あいつは今でもあの場所で、涼しい顔をして俺の友人たちと笑い合いながら酒を飲んでいる。

それが何よりも、許せない。



復讐も考えた。

俺が持っている「証拠」を店にバラ巻けば、あいつは立場を失い店にいられなくなるだろう。

そうすれば、俺もまた店に遊びに行けるようになるだろう。

あんなクズを、店でのさばらせておくわけにはいかない。

必ずかの邪知暴虐のクズを除かなければならぬ。



だが、店への迷惑はどうする?

人間ひとりの立場を失わせるには、それなりの修羅場をくぐる必要があるだろう。

その過程で客同士のトラブルが発生し、店に多大な迷惑がかかる事は想像に難くない。

たとえ追い出しに成功したとしても、俺の店での立場も危うくなり、他の客とこれまで通りにはいかなくなるかも知れない。



信頼の置ける友人に相談した。

彼も10年前に俺と同じような経験をしており、親身になって相談に乗ってくれた。



「たにしは人間を信頼しすぎる。だからそのぶん、裏切られたときの憎しみも悲しみも深くなってしまう」

「俺は10年前の経験から、人間を信頼しすぎないことにしている。したくてやってるわけじゃないけど、そうしないと自分の身が持たない。人間は本当に、いとも簡単に裏切ってくる」

「そいつは本当にクズだ。でも、クズに心を捕らわれている時間は本当に人生の無駄だ。世界は広い。その店の外にも遊び場はたくさんある。駄目になった人間や場所に執着するだけ時間の無駄だ。過去にそれがどれだけ大切なモノだったとしても。忘れて次に行け」

「俺を裏切った奴らのことは、いまでも全然許せていない。思い出すたびに殺したくなる。割り切ることなんかできない。でも、そんなクズ達に心が捕らわれているのは人生の無駄だから、感情を殺してなんとか生きている。メチャクチャしんどいけど」



大人だ、と思った。

普通の人間はもっと若い時分にこうした手痛い裏切りを経験し、人間を信頼しなくなるものなのかも知れない。40余年そうした目に遭わず、人間へのピュアな信頼を失わずにこれまで生きてこれた自分は幸運だったのかも知れない。


「友人にカネを貸すときは返って来なくても許せる範囲内にしておけという教訓と同じように、人間を信頼するときは裏切られても許せる範囲内に留めておかなくてはならない」


これが、今回俺が身に付けた処世術だ。本当は、こんなことを処世術になどしたくなかった。心の底からずっと人間を信頼し続けていたかった。でも、信じられないようなクズがこの世の中には実在する。そいつらから身を守るためには、こちらもクズにならなければならない。

辛い。

これもひとつの「成長」の形なのかも知れない。でも、こんな形が「成長」とされてしまう世の中を。それが正しい事なんだと割り切る事を。俺はまだできないでいる。