恋愛の善・悪・快・不快を決めるのは、パートナーであって部外者の貴方や私や世間ではない

人の恋愛を、笑うな

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↑恋愛というものは、「当事者たちがその関係に満足しているか?」ということが一番大切…というか、それだけが大切なのであって、ある欲望や行動や関係性を一般論に落とし込み、「倫理的に問題か?」と問うこと自体が無意味であり、余計なお世話というものではないでしょうか。

こと恋愛という極めて個人的な関係においては、どのような欲望も、どのような愛情や思い遣りも、それが善か悪か快か不快かは、すべて「パートナーがどのように受け取ったか」によってのみ決まるからです。

  • 不倫は一般的には悪とされ、不快に感じる方が多いですが、関係者全員が納得のうえでやっているなら、何の問題もありません。事実、『ポリアモリー』と呼ばれる方々は、こうした関係性を実践している方たちです。
  • ゲイの方があるノンケの男性を好きになったとして、その想いがどんなに誠実で純粋なものであったとしても、ノンケ男性は困惑してしまうでしょう。
  • 恋愛における奢り問題について、「男性が食事を奢るのは当然の愛情表現だ」と考える女性もいますが、「パートナーに申し訳ない」と負担に感じる女性もいます。


このように、恋愛における善・悪・快・不快といった価値判断は、すべて「パートナー次第」なのです。判断を行うのは「パートナー」であり、「貴方」や「私」や「世間」ではないのです。

もちろん、多くの方に嫌われやすい属性・行動・嗜好というものはあるので、そうしたものをパートナーにぶつければ恋愛が成立しなくなる可能性は高まりますが、目の前の恋人もマジョリティと同じように、それを嫌悪するかは分からない*1。それを判断できるのは、最終的には「目の前の恋人」だけなのです。


ブコメを見ると、「『弱い』相手に付け込み支配的な関係を望む発想が透けて見えるのがキモい」という意見が多数派のようですが、これは恋愛において一番大切な「パートナーがどう受け取るか」を無視した、自己完結型の考え方だと思います。

「耳の聞こえない彼女が欲しい」という欲望がキモいのかキモくないのか。それを裁けるのは実際にその欲望を向けられた「恋人」だけです。その恋人がキモいと言えばキモいし、キモくないと言えばキモくない。「欠点まで愛してくれてありがとう」、とまで言ってくれれば美談です。


私は、一般的にはキモいと叩かれがちな関係でも、当事者たちが幸せなのであれば、世間の声に惑わされず、自分たちの幸せを貫けばよいと考えています。恋愛という究極の個人的関係において、「関係の善悪を裁く部外者の声」ほど、無意味なモノは無いのですから。

人の恋愛を、笑うな。



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*1:同様に、どんなに一般的に素晴らしいとされている行動や属性でも、目の前の恋人もマジョリティと同じようにそれを好ましいと感じてくれるかは分かりません。