どのような人生を送っていれば、子供を持つ世界線に、私はたどり着くことができていたのだろう?

ちょうど10年前。当時付き合っていた彼女と交際7年目で31歳だった私は、これからこの女性と結婚し家庭を築き上げていくのだと、なんの疑問も持たずに思っていた。

当時の私は正社員で年収約550万。貯金も600万ほどあり、31歳という年齢としての経済力はそれなりといったところ。彼女は4歳年下で、正社員実家暮らし。具体的な経済状況は知らなかったが、この2人であれば結婚するに当たって経済的には充分問題なし。

2人の関係は交際開始当初からずっと熱々で、双方の親との関係も良好。不安要素はなにもない。私は兄弟がいて楽しかったから、子供は2人くらい欲しいかな。私も彼女も、お互いそんな事をよく話していた。

交際7年記念パーティの場で、私が祝辞のメッセージを"Congratulations on the 8th anniversary!"と1年勘違いして発注してしまったとき、「これだけ長いと何年目かわかんなくなっちゃうね(笑)」と、失敗を責められるでもなく2人で笑い合い、帰りに路地裏でこっそりキスしたことを今でも鮮明に覚えている。


その8年目の交際記念日が訪れる日は永遠に来ないとはつゆ知らず。



あれから10年が経ち41歳になった私は、未だ家庭を築けていない。そのための努力もそれなりにしてきたつもりだ。オーネットに入会して婚活し、趣味の場や夜の街で出会った女性たちと幾人も交際を重ねてきた。しかし、10年前の彼女の亡霊に囚われ続けていた私は、結局どの女性も愛することができなかった。愛してもいない女性と妥協して「結婚するために結婚する」ほどには、私は結婚や家庭というものに思い入れがなかった。

もしもあのとき結婚していたら家族のために遣われていたであろう、この10年間で稼いだ数1000万のカネは、夜の街と酒に溶けた。男女関係のもつれから裁判沙汰になり、100万単位のカネが一瞬にして塵と消えたこともあった。当時600万あった貯金は、今では半分程度しか残っていない。年齢を重ね収入も多少は増えたが、それを上回って遊ぶためのカネが指数関数的に増え続けた。


41歳の男性が結婚し、子供を持つことを考えたとき、最低限家族に責任を取れる経済力とはどれくらいなのだろう?年収600万プラス貯金1000万、といったところだろうか?*1

現在の私の経済力は、年収650万/貯金300万。今の放蕩生活を続け、ひとり野垂れ死ぬには充分だが、子供を持つためには、その責任を果たすためには、まるで足りていない。昨今の高齢正社員リストラブームの話など聞いていると、いまの仕事も果たしていつまで続けられるのか、先行きも不透明だ。

今後の人生で私は恋愛や結婚をする事はあるかも知れないが、余程のことがない限り子供を持つことはないだろう。それこそカネの心配のいらない資産家の令嬢や、1000万以上の年収を稼ぐキャリアウーマンと結婚するようなあり得ない事態でも起こらない限りは。

カネの問題が片付いても、肉体的な老いの問題がある。女性の卵子だけでなく男性の精子も30歳を超えれば劣化が始まり、着床の可能性が低まり、障害をもつ子供が産まれる可能性が高まることは、いまや常識だ。


p-shirokuma.hatenadiary.com

子育てにはリスクやコストでは測れない素晴らしさがある、という記事を読んだ。子育て経験を持たない私にはその真偽を判断することはできないが、経験者がそう語るのならきっとそうなのだろう。私の周りの親となった友人たちの多くも同じことを語っている(無論、違うことを語る親もいる)。

私は、子育てをリスクやコストで測ったことなど1度もない。家庭も子供も「普通に」持つつもりだった。しかし経済的にも肉体的にも、気が付けば子供を持つことが現実的にほぼ不可能な状況に追い込まれてしまっていた。私は、自分の人生が失敗だったとは思っていない。大いに成功したと言える側面もたくさんある。しかし、こと子供を持つという点に関しては、「失敗」がほぼ確定したと言って差し支えないだろう。

どのような人生を送っていれば、家庭を、延いては子供を持つ世界線に、私はたどり着くことができていたのだろう?

今の人生に後悔はない。しかし、そんな事を最近しばしば考える。

*1:数字に具体的根拠はなく、完全などんぶりである。