「自己嫌悪が強すぎて、『類友』を作れないタイプの人間」(キョロ充)の心理的メカニズム

コンプレックス型ナンパ師の憂鬱

とある飲みの席で、若い「ナンパ師クラスタ」の男性と知り合った。ナンパ師には、ラテンノリの「女好きタイプ」と、モテない自分との決別を目指す「コンプレックスタイプ」がいるが、彼の場合は「コンプレックスタイプ」で、自己嫌悪を克服するために、ナンパを通して女性からの承認を得ることを目的としているという。

彼は、すでにナンパでそれなりの成果を上げており、これまでに10人以上の女性を「引っ掛ける」ことに成功していた。しかし、自分が落とせるレベルの女性の「質」に不満があり、引っ掛けた女性を好きになることもなく、もっと「上」の女性(あくまで彼にとっての『質』や『上』)を目指してすぐに別れてしまうそうだ*1

しかし現状、彼の腕では、彼の自尊心を満たしてくれるような「上」のレベルの女性を落とすことはできない。それでも彼は「上」の女性を目指し、ナンパの腕を磨き、日々努力を重ねているが、最近そもそものベースとなる自分の「モテの才能」に限界を感じ、自分の力量では自分が満足のいくレベルの女性と付き合うことは不可能なのではないかと、悩んでいるという。


あぁ、これは「自己嫌悪が強すぎて、『類友』を作れないタイプの人間」だなと、私は思った。


「自己嫌悪が強すぎて、『類友』を作れないタイプの人間」とは

「類は友を呼ぶ」というが、なんだかんだ言って人間は、自分と似ている相手としか深い友達や恋人になれない生き物だと思う。価値観なり、感性なり、趣味なり、人生経験なり、キャラクターなり。そうしたものが似通った相手には、最初からなんとなくシンパシーを感じるし、多くの言葉を交わさなくても、いつの間にか親しい仲になっていたりする。

「違った」人間と親しくなることも可能だが、「類友」よりも多くの努力が必要になってしまうし、どんなに時間や言葉を重ねても、「類友」同士が通じ合うほどの深い仲にはなれない場合もある。


自己評価が低すぎて、自己嫌悪と呼べるレベルにまでなってくると、自分と似た人間に対して、シンパシーどころか同族嫌悪という真逆の感情を感じるようになってしまう。自分のことが嫌いなのだから、自分と似た他人のことも同じように嫌いになるという単純な心理だが、本来であれば一番友人や恋人になりやすいハズの「類友候補」と仲良くなれず、親しい人間を作る機会が激減してしまうのだから、とてもつらい。

こうした人間は、自分には不釣り合いな「上」の人間とばかり付き合おうと躍起になってしまう。価値ある「上」の人間と付き合うことで、「○○さんと付き合える俺、カッケー!」的に、絶望的に低い自分の価値が高まったと感じることができるからだ*2

しかし、あまりにも自分とは「根」が違う人間と親しい付き合いを続けることは、とても大変だ。特に「上」の人間と付き合おうとすれば、いろいろと無理も生まれてくる。相手に合わせて自分を偽らなければならないし、たとえ表面上は親しくなれたように見えても「類友」のような深い仲にはなれず、「疲れる関係」や「搾取ばかりされる関係」になってしまう可能性が高い。


これが、「自己嫌悪が強すぎて『類友』を作れないタイプの人間」の心理的メカニズムである。このタイプの人間は、「類友」という心から安心できる友人や恋人を作ることができず、常に無理のある人間関係を求め、塩水で喉を潤し続けるような「上」の人間とのコミュニケーションにすがり続けてしまうのだ。


自己嫌悪を克服するためには、成功体験による自信が必要だけれど…

こうした人間に必要なことは、「上」を目指して自分を変えることではなく、自分を赦すことだと思う。自分のことが嫌いだから、自分と似た他人のことも嫌いになってしまう。自分のことを好きになれれば、自分と似た他人のことも好きになれる。要するに、「自信を持て」という話である。

しかし、「自信を持て」と言葉にするのは簡単だが、実行することはとても難しい。「自信」や「卑屈」は、これまでの人生経験の中で培われた成功体験や失敗体験、世間からの評価などの総体として自然に立ち現れてくるものであり、持とうとして持てるものではないからだ。

根拠のない自信も、根拠のない卑屈も世の中には存在しない ~ 「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」書評 ~ - 自意識高い系男子
自己評価ってのは結果なんだから、本人の気の持ちようでなんとかなる話ではない、と思っています。根拠なき自信も、根拠なき卑屈も世の中には存在しないのです。自信満々な人には自信満々になるだけの、卑屈な人には卑屈になるだけの、成功体験や失敗体験があり、それがその人の自己評価という結果になる。

つまり、「類友」を作るためには自信を持ち、自己嫌悪を克服する必要があるけれど、自信を持つためには根拠となるだけの「成功体験」が必要になり、しかし成功体験を得られるような「上」の相手とは、無理のある関係しか構築できないというパラドックスが発生してしまうわけだ。


「自己嫌悪の克服」がキモ

ここまでの話を、冒頭のナンパ師の彼に当てはめると、↓のような話になる。

  1. 自分の腕で付き合える「類友女性」で満足できるようになる為には、自己嫌悪を克服する必要がある。
  2. しかし、自己嫌悪を克服するためには、「上」の女性と付き合うことができたという、成功体験が必要になる。
  3. 「上」の女性と付き合うことができたとしても、無理のある関係しか構築できず、結局のところ本質的な意味では幸せになれない可能性が高い。


この状態からの脱出方法で一番ストレートなのは、努力により「上」の相手と付き合い、成功体験をゲットしてしまうという、ナンパ師の彼も採用している方法だろう。その後の関係は努力が必要な苦労の多いものになるかもしれないが、成功体験により自己嫌悪を減らすことができれば、たとえ「上」の相手と別れたとしても、その後「類友」的な女性で満足できるようになっている可能性がある。しかし、この方法には願望に見合った相応の力量が必要であり、誰にでもとれる方法ではない*3

次に考えられるのが、自分の得意分野で成功体験をゲットし、自分に自信をつける方法である。これにも本人の力量や適性はあるが、ナンパという才能に拠る部分が非常に大きいジャンルで無理に勝負するよりも、もっと彼に適した戦場はあるのではないかと思う。


どうした方法をとるにしろ、一番のキモの部分は「自己嫌悪の克服」だ。自己嫌悪にさいなまれているかぎり、恋人どころか「類友」を作ることさえできず、人間関係を通した幸せ全般から遠ざかることになってしまう。自己嫌悪さえ克服できれば、べつに恋人などいなくても、人間関係を通した幸せを得る方法などいくらでもあるのだ。


追記

実は私もかつては彼と同じ「自己嫌悪が強すぎて『類友』を作れないタイプの人間」で*4、15年近く前、コンプレックスタイプのナンパ師をやっていた時代があった。

私はたまたま、本当にたまたま、「上」の女性と付き合うことで自己嫌悪を克服することができたが、かつての私と同じような悩みを語る彼に、昔の自分を見ているようで強く感情移入してしまい、居酒屋ではいろいろと口うるさいお説教めいた話をしてしまった。

偉そうに聞こえてしまうかもしれないけれど、彼の人生が上手く転がってほしいと思う。


d.hatena.ne.jp

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*1:この行為に対する女性のみなさんの怒りは、至極もっともだと思う。

*2:ネットスラングの「キョロ充」は、こうした人間を指す言葉だ。

*3:ナンパ師の彼自身、自らの力量不足に悩んでいた。

*4:いまでも完全に克服できたとは思わないけれど。