僕は童貞を肯定しようと思う。

私は、童貞である

私は、童貞である。無論、肉体的には私は童貞ではない。アラフォー独身男性としてそれなりに長く生き、片手で足りぬ女性との交際経験と、両手で足りぬ女性との性交経験を持っている。

しかし、それでもなお、私は童貞なのである。

童貞叩きをネットで見かけるたび、私の心はザワつかずいられない。なぜならネットで叩かれ、嘲笑され、キモがられる「あの」童貞の恋愛観は、そっくりそのまま私の恋愛観と重なるからである。

↑ツイートなど、ほぼすべての内容が、私に当てはまってしまう。まるで、私の恋愛をどこからか観察して書かれたような精度だ。本当に、ゾッとする。そう、私は肉体的には童貞ではないが、精神的にはいまでも童貞のあの日に留まっている、いわば「精神的童貞」なのである。


今日のインターネット上では、童貞は安全なサンドバックとして親しまれている。童貞は、情けない。童貞は、キモい。童貞には、なにを言ってもいい、なにをやってもいい。現代ネット社会最下層の被差別階級。それが童貞だ。

しかし、童貞であることは、そんなに悪いことなのだろうか?私は、そうは思わない。今回の記事で私は童貞を、特に童貞の恋愛観を援護していこうと考えている。


童貞は、誰よりもあなたのことを考えてくれている

私は、童貞のいいところは「彼女のことを心の底から大切にする」ことだと思う。先のツイートなどは、死ぬほど童貞を馬鹿にして書かれているが、これらは相手のことを想うあまりの暴走だ。それが「善意の押し付け」や経験値不足からの方向違いになっていることが問題なのであって、「彼女のことを大切にする」という行為や心構え自体は、童貞最大の美徳だと思う。

問題は、その想いから出てくる行動が、童貞の自分本位な「妄想」に基づいており、相手のニーズに全く応えていないことだ。だからこそ童貞のこれらの行為は、「相手のことを全く考えていない」という言葉で、しばしば批判に晒される。

しかし、この批判は正確ではない。童貞は「相手のことを考えて」はいるのである。この世の他の誰よりも、あなたのことを「考えて」はいるのである。問題は、その想いの出力の方向性が間違えていることだけだ。最高のF1エンジンを積んでいるが、ハンドルがぶっ壊れているスポーツカー。それが童貞なのである。

これを修正していくためには、「女慣れ」という経験が必要となる。女性のことを知り、洞察により相手が望むことを見極め、それに応える。童貞に不足しているのはこれらの能力であり、「相手のことを大切にする」「相手のことを考える」というエンジンについては、むしろ童貞が世界最高最強なのである。


童貞が暗黒面に堕ちるとき

このように、童貞は恋愛に必要な「相手のことを大切にする」という最高のエンジンを持っているが、その扱い方に問題がある。あとはこのエンジンを持ち合わせたままで女性経験を積み、アクセルの加減とギアチェンジのタイミング、ブレーキの使い方、ハンドル操作、メーターの読み方などの技術を学んでいけば、理想的な「モテ男」へと成長できる…のであるが、ここで問題が発生する。


それは、童貞の方向違いな熱すぎる想いは、しばしば女性から「重い」「キモい」「私のことを何も考えてくれていない」と否定され、ほとんどの場合恋愛においてプラスに働くことはない、という事実である。

だが、先に書いたように、童貞はあなたのことを「考えていない」わけではない。むしろ、この世の誰よりも、考えすぎているくらいに考えているのだ。それを、「私のことを何も考えてくれていない」と否定されてしまうのだから、童貞としてはなんともやるせない。


しばしば勘違いされがちだが、女性がいう「私のことを考えてくれていない」とは、「私のニーズに応えてくれていない」をオブラートに包んだ表現である。女性の側からしてみれば、「私のニーズに応えてくれている」という結果が重要なのであり、「あなたのことが大切だから」だろうと「ヤリてー」だろうと、それがどのような想いから産まれてきたのかということなど、一切関係ないのである。

事実、女性を魅了するテクニックやモテ資本*1に優れ、「私のニーズに応えてくれる」ヤリチンは、他に幾人もの浮気相手を作り、相手のことを何も考えずモノのように扱い傷つけても、引く手数多でモテモテではないか。


こうした光景を見て、童貞は思う。「なんだ、相手のことなんて考えないほうが、モテるんじゃん。相手のこと考えても、重いって言われてキモがられるだけじゃん」と。藤沢数希氏が提唱する恋愛工学の「非モテコミット」など、まさしくこの理論そのものである。

非モテコミット】
藤沢数希氏が自らのナンパ講習系メルマガ「恋愛工学」で提唱する概念のひとつ。1人の「本命」に一途になることで執着心が発生し、「重い」「キモい」と引かれてしまい、結果的に誰とも付き合えなくなってしまう現象を指す言葉。童貞の心理そのものである。精神的余裕を作るために、複数の女性と何股もかけることが、恋愛工学では推奨される。

こうして、女性の気持ちなど真の意味でなにも考えず、女性を騙す小手先のテクニックばかりを身につけた、「童貞暗黒騎士」が誕生する。そして皮肉なことに、実際このほうがモテるし、女性からの評価も高いのである。本当に「相手のことをなにも考えていない」のは、ヤリチンであるにも関わらず…*2


心は童貞!技術はヤリチン!

私が好きな恋愛コラムニストに、アルテイシアさんという女性がいる。彼女は、主にモテない男性向けに恋愛入門本などを執筆しているが、彼女の言葉にこんなものがある。

恋愛慣れしてるスマートな男なんてみんなヤリチン。本当に女の子のコトを考えている男性は、好きな女の子を眼の前にしたら、緊張して上手く振る舞えなくなるのが当たり前。

本当に、そのとおりだと思う。女性は、ヤリチンの表面的な技術に、簡単に魅了されすぎる。無論、そうした詐欺行為を仕掛けるヤリチンが一番悪いのであるが、そうした行為が有効であり、童貞的な行為が「重い」と否定されてしまうという事実も、男をヤリチンに走らせる一因となっていることは否めない。

また、童貞は童貞で、自らの恋愛技術の向上を怠ってはならない。自分勝手な妄想で暴走するのではなく、彼女に対する想いはそのままに、相手のニーズを汲み取り、適切な対応ができるよう、女性にキモがられないよう、技術を磨く必要があるだろう。


女性から見て理想の男性とは何か?それは、童貞が持つ女性への想いやりや情熱と、ヤリチンの女性のニーズに応える技術を兼ね備えた男性だと私は思う。

「心は童貞!技術はヤリチン!」これこそが、最強のモテ男と言えるのではないだろうか。



【余談】『童貞を殺す服』における、日常性の大切さ

americanboss.hatenablog.jp

私は童貞なので、「童貞を殺す服」も、もちろん大好きだ。だが、↑のブログ主は残念ながらわかっていない。このまとめの服は、普段使いするにはデコラティブすぎる。生地もペラくはなく、高級感が感じられる。この作り込まれたコスプレ的「よそゆき感」に、童貞は引いてしまう。

童貞が求めるのは、もっと日常的で自然発生的な親しみやすさと清楚感だ。具体的に言うのであれば、これらブランドのテイストを「日常着」に落とし込んだ、「しまむら」や「イオン」で売られている「量産型童貞を殺す服」である。

これらイオンしまむら服を、ハレの場でコスプレとして着るのではなく、日常の中、自らの意志で選択して着る。この行為に、お仕着せではない着用者の「素の」清楚な人間性を感じ取り、童貞は魅了されるのである。童貞キラーのみなさまにおかれましては、ぜひ記憶に留めておいていただきたい。


ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。

ゼロから始めるオクテ男子愛され講座

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*1:カオ、カネ、コミュニケーション技術など。

*2:浮気をされて傷つかない女性はほとんどいないが、それでも構わず浮気するような男性が「相手のことを考えている」わけがない。