ネットでコミュニティの流動性が高まり、『しがらみの薄いつながり』を簡単に作れるようになったことが、若者の『つながり』指向の理由だと思う

若者は『しがらみ』を厭わなくなった…のか?

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若いうちからネットにより「つながり」や「しがらみ」を経験し訓練された最近の若者たちは、つながり指向になっているのではないか、というエントリをシロクマ先生が書かれています。最近の若者はつながり指向が強いというのはその通りだと私も感じるのですが、しがらみも厭わなくなっているのかといわれると、そうかなぁと疑問です。

私的には、若者がしがらみを厭わなくなったというよりは、「つながり」に付き物だった面倒くさい「しがらみ」を最小限に抑えた付き合い方がネットによって可能になり、「コミュニケーションのいいとこ取り」ができるようになったことが、最近の若者のつながり指向を促進しているように感じられます。


メチャクチャわかりやすい例が、オタクです。コンテンツを通してつながりを作っていたオタク達は、ネットがない時代は同じコンテンツを共有する仲間を見つけることが難しかったため「ありのままの自分」を出してつながりを作ることが難しかったけれど、ネットでは簡単に仲間を見つけることができるので、「ありのままの自分」を出したままつながりを構築できるようになりました*1

つまりネットによって、「自分を集団に合わせる」のではなく「自分に合った集団を探し、そこに所属してつながりを作る」ことが可能になった。これが「コミュニケーションのいいとこ取りができるようになった」ということです。


かつての社会では、主に距離的・時間的な理由から、複数のコミュニティに所属することは難しかった。学校なり会社なり地域なり、半ば強制的に所属することとなったコミュニティの中で自分の居場所を、つながりを確保しなくてはならず、それが強いしがらみを産み、「自分を殺して集団に合わせる」ことを強いられてきた。

それがいまではネットによって、しがらみのストレス知らずな自分に合うコミュニティを簡単に探すことが出来るようになった。さらにこうした「所属コミュニティの流動性が高い社会」では、所属したコミュニティの居心地が悪ければさっさと他のコミュニティに移動すればいいだけなので特定のコミュニティに対する執着が起きにくく、「しがらみ」とそれに伴うストレスは、なおさら発生しづらくなります。


自分を殺して集団に合わせることを強いられてきた、しがらみの強い社会

それへの反動により、個人の自立や自由が指向された社会

ネットの普及によりコミュニティの流動性が高まり、自立したまま自分に合う集団に所属可能となった、しがらみの薄いつながりを簡単に築ける「コミュニケーションのいいとこ取り社会」(←イマココ!)


戦後のコミュニケーションの潮流として、↑のような流れがあるのではないでしょうか。人は他人とのコミュニケーションに喜びを感じる生き物なので、「つながり」の負の部分である面倒臭い「しがらみ」が無くなったら、そりゃあみんな「つながり」したくなりますよね。「つながり」、基本、楽しいモノですからね。

いやはやまったく、いい時代になったものです。「つながり」、サイコー!\(^o^)/



*1:このことによる近年のオタクカルチャーの躍進は、みなさんご存知のとおりです。