差別の本質は個人の『差別行為』にあるのではなく、それが社会的に正当化されてしまうような『空気』の方にある

差別の本質は、差別行為を正当化する社会の『空気』にある

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↑の件について。

まず私は、差別とは侮辱や排外等の個人が行う「差別行為」が問題なのではなく、特定の属性に対する個人の嫌悪感からの差別行為が社会的に正当化されてしまうような「空気感」が問題なのであり、その空気こそが差別の「本質」なのだと考えています。


黒人、LGBT、宗教、女性、朝鮮人、部落出身者、オタク、ネクラ、キモい人間、etc…。彼・彼女等が「一般人」と世間的に対等な存在とみなされているのであれば、彼・彼女等を個人的に嫌い「差別行為」を行うことは、褒められた行動ではありませんが、まだ、個人の好き嫌いの範疇です。

こうした「差別行為」に関しては、被害者に反論の機会も与えられますし、何より加害者自身が、周囲からそうした差別行為を咎められ、批判されるでしょう。これらの行為は、社会的に「悪」とみなされているからです。


しかし、これら属性への嫌悪感が社会的に醸成され、「○○であれば嫌われて当然。差別されても仕方がない」という空気が世間を覆うようになったとき。個人的な差別行為は、社会的な「差別」へと変質します。

この空気の下では、差別行為の責任は加害者ではなく、被害者側に求められることになります。悪いのは加害者ではなく、社会の合意に従わない被害者のほうだからです。加害者は被害者を社会的に「矯正」してやっている、正義の徒とすらみなされるでしょう。

さらにこの環境下では、それまでこれら属性の人々を特に嫌っていなかった者たちでさえ、「社会の空気に当てられ」、彼・彼女等を差別するようになるのです。


こうして、「○○は差別されても仕方がない」という「差別の空気」の対象になってしまった人々は、世間に反撃する術をすべて封じられ、ただただ、差別を耐え忍ぶことしか出来なくなってしまいます*1

黒人差別然り、女性差別然り、部落差別然り。歴史上問題となってきたすべての差別は、こうした「社会的合意」の下で行われてきました。いじめ問題も、クラスメイトの多くが「悪いのは加害者ではなく被害者だ」と考える空気が醸成されてしまうからこそ、あそこまで陰惨なものになるのです。

「差別の本質は個人の差別行為にあるのではなく、差別行為が社会的に正当化されてしまう、『空気』のほうにある」。これは、差別の基本として押さえておかなくてはいけません。

この考えでいけば、すでに差別として社会的合意が形成され、ほぼ確実に加害者が批判されるLGBTや女性や黒人に対する差別よりも、現状では差別として認定されておらず、被害者側の責任が問われることも多い「キモい人間差別」のほうが現代社会ではより深刻な差別なのだという視点にも、一定の理があるのです。


属性差別は、シミュレーションRPGにおける「地形効果」だと考えると解りやすい

ある属性が、社会的に「被差別属性」として認識されてしまうと、その属性は「スティグマ」「穢れ」として作用するようになります。

これは、コンピューターゲームシミュレーションRPG等で設定されている、「地形効果」のようなものだと考えれば解りやすいです。「海での戦闘は苦手だから攻撃力30%ダウン」とか、「森では回避率20%アップ」とか、ああいうヤツですね。

この地形効果がマイナス値に設定されている属性が、「被差別属性」です。オタクを例にとれば、「オタクと知られてしまった場合、スクールカースト的クラス内威信度20ポイントダウン」のような感じです(もちろん、補正値がプラスに設定されている属性もあります。例えば「芸能人」なんかはそうなんじゃないですかね)*2


マイナス補正がかかるだけなので、充分にステータスが高い個人であれば、マイナスポイントを帳消しにして、「○○だけど差別されていない人」になることも可能です。「オタクだけどキモくないから馬鹿にされていない人」や、「女性だけどバリバリ仕事をして管理職まで昇り詰めた人」。「黒人だけど選挙に打ち勝ち大統領に就任したオバマ元大統領」などが、これに当たります。

しかしこれは、被差別属性への差別が存在しないことの証明にはなり得ません。その個人がたまたま強い個人だったから差別に打ち勝てただけで、社会的マイナス補正の存在こそが、差別の本質だからです。


「○○という属性を持ちつつも差別されていない個人が存在すること」ではなく、「○○という属性が『スティグマ』『穢れ』として認知され、社会的マイナス補正を受けていること」。これが、「差別」なのです。


「○○だけど差別されていない個人が存在する」ことと、「○○への差別が存在しない」ことは、関係がない

以上の見解を踏まえた上で、冒頭の「オタクだから差別されているのではなく、キモいから差別されている!なぜなら、オタクでもキモくない人間は差別されていないからだ!」への回答については、

「いいえ。たとえ差別されていないオタク個人が存在したとしても、オタクという属性が社会的にマイナスと見なされる一因となっているのであれば、オタク差別は存在すると言えますよ」ということになります。

また、「キモい差別」についても、「キモければ差別されて当然だ。被害者が悪い」という空気が社会的に醸成されているのであれば、それは個人の差別行為を超えた「社会的差別」であると言うことができるでしょう。


ただ、オタク差別に関しては前回の記事で書いたように、ここ10年ほどで驚くほど世間の空気が変わり、差別が緩和されました。地形効果の喩えでいくなら、90年代はマイナス補正値40%くらいあったのが、現在は5%になったくらい。

80年代中盤~00年代中盤、オタクは明確に差別されていたが、現在、オタク差別は「ほぼ無い」。それが、私の考えです。


ta-nishi.hatenablog.com


*1:差別に対抗するのではなく、前回の記事の『隠れオタク』や『脱オタ』のような、「社会への服従」を余儀なくされてしまうのです。

*2:先日の、TOKIO山口達也容疑者の女子高生へのわいせつ事件への、援護の声の大きさ等を見ていると。