『癒やしの季節』の終焉

行きつけのバーの閉店

ここ10年近く、私の人生の中心的テーマであり続けた"『例の彼女』問題"が解決したという話を去年の終わりに書いたが、それと歩調を合わせるかのように、私が常連として通いつめていたバーが、あと数カ月で閉店することになった。

"『例の彼女』問題"で苦しい時期を過ごしていたこの10年、私の人生で中心的なポジションを占めていたのは、仕事でも家族でも恋人でもなく、このバーだった。

ここで過ごした時間に、ここで飲んだ酒に、ここで出会った友人に。私の人生は、どれほど助けられて来たか知れない。もしもこのバーと巡り会えていなければ、30代の私の人生は、無味乾燥でなんの意味も価値もないものとなり、"『例の彼女』問題"もより深刻なものとなっていただろう。私は、このバーにどれだけ感謝してもし尽くせない恩を感じている。


私の人生の中心であり、サードプレイスとして機能してきたこのバーだが、こうしたコミュニティは、職場や家族といった伝統的なコミュニティに比べ、脆いという点は否めない。店主の都合で、経済や法律の影響で。こうした場所は、いともあっさり失われてしまう。

社会的地位や血縁関係と距離を置いたサードプレイスの人間関係は平等かつ気楽であり、それはこうした場所が持っているとてつもなく大きな美点だが、同時に伝統的なコミュニティに付き物の「しがらみ」の無さと表裏一体の関係だ。「しがらみ」の無いサードプレイスのコミュニティは、強固さという点ではやはり劣る。そうした場所を、人生の中心に置くリスクというものは、やはり存在するのだろう。その事には、私も随分前から気づいていた。そのリスクが、とうとう顕在化してしまったということだ。

しかしまぁ、それも仕方がない。こうした生き方を選択してきたのは他ならぬ私自身であるし、こうした生き方しか選択できない、運命的な必然もあった。壮年期以降の人生の多くは、その時点での自らの選択の結果というよりも、それ以前の人生の選択の延長線として立ち現れてくる。そこに、自分の意思を介在させる余地は、いまさらあまり残されていない。


"『例の彼女』問題"の解決とバーの閉店が同時期にきたという『運命』

あと半分も自分の人生が残っているのだとするならば - 自意識高い系男子

修にとっての酒とパチンコは、みゆきにとってのデリヘルのバイトは、セルゲイにとってのドラッグは、私にとってのバーやDJイベントだ。『それ』でなければ決して満たされない心の虚無感を、酒や娯楽で、あるいは友人との馬鹿騒ぎで、無理やり埋め合わせ、凌いでいる。

自分が不幸だと考えているわけではない。バーで仲間と打ったイベントが盛り上がり成功すれば、信じられないくらい大きな幸せを感じることが出来る。その瞬間、自分は世界一の幸せ者だと感じる瞬間が。自分の過去と、そこから導き出された現在とを、心の底から肯定できる瞬間が、確かにそこに、ある。

しかしそれは、所詮は刹那的な埋め合わせにすぎない。その幸福感は一瞬のことで、しばらくすれば私の心は、再び虚無に支配されてしまう。

↑は、定期的に来る"『例の彼女』問題"の鬱の波が厳しい時期に書いた文章だが、あのバーが私にとって、『例の彼女』でなければ決して満たされない心の穴を刹那的に埋め合わせる為の麻酔薬だったという認識そのものは、いまでもそれほど変わっていない。

しかしこの10年の私にとって、それは必要な麻酔薬だった。あのバーが存在しなければ、私は死んでいた。確かにあのバーは「所詮は刹那的な埋め合わせ」だったが、それは私にとって、絶対に必要な埋め合わせだった。そうポジティブに、今の私は思う。


『例の彼女』との失恋から10年。この10年は、この失恋を癒やすために、絶対に必要な10年だった*1。そしてその癒やしを行う上で、このバーには、本当にお世話になった。

そうした存在が、"『例の彼女』問題"の解決と共に私の人生から居なくなっていくということ。これは、「失恋の季節」から抜け出し、新しいステージに人生を移すべき時期がやってきたという、運命のメッセージではないか。そんな奇妙な宿命めいた因縁を、私は感じてしまう。


30代の私の人生は、このバーに依存する割合の高い人生だった。そのエネルギーを、他の場所に移動させる必要がある。その矛先はまだ定まっていないけれど、その対象を探すことが、当面の私の人生の新たな目標となるだろう。

『生きがい』なしに残りの人生を送るとするならば、その時間は私にとって、あまりにも長すぎる。


生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

*1:それにしたって、長すぎたとは思うが。この10年で私は40歳になり、「愛する伴侶との間に子供を持ち、両親とは違った幸せな家庭を築く」というかつて私が持っていた人生の目標は、今となってはほぼ達成不可能な『夢』になってしまった。