『真のコミュ症とは、初対面の人間とは割と話せる、が日を追うごとに気まずくなっていく人間を指す』、が解決法がわかった

読者のAさんから、相談をいただきました

以前このブログで書いた↓の記事を読んだAさん(仮)から、まさにこの症状で悩んでいるというDMを、Twitterでいただきました。

ta-nishi.hatenablog.com

この記事は私のブログの中でも、とてもたくさん読まれている記事で、この「真のコミュ障」で悩んでいる方は、思いのほか世の中にたくさんいらっしゃるようです。

この記事を書いて5年が経ち、現在の私自身は、「真のコミュ障」で悩むことは無くなっています。原因も概ね分かっているので、他の同じ悩みを共有している方への回答という意味も込め、私が考える対処法を、Aさんからの合意を得た上で書いておこうと思います。


結論から書くと、

  1. 「本来の自分」を出せないのは、「本来の自分」ではこの場所で他人から受け入れてもらえないのではないかという恐れがあるから。
  2. この恐れを解消するには、「本来の自分」で居ても受け入れてもらえる居場所を見つけることで、「そのままの自分でもいいんだ」という自己肯定感を得ることが有効。
  3. 「居場所」で自己肯定感を得ることができれば、自ずと他の場所でも人間関係で無理をしてまで相手に合わせようとすることは無くなっていく。

ということです。


Aさんの相談 - "学校で『本当の自分』ではない自分を演じることに疲れてしまった"

私は、高校2年の17歳です。

私は、初めは明るく元気な女の子みたいな感じで周りと接することが出来るんですけど、それはあくまで作った自分で、親しくなるほど本当の私はこんなんじゃなくて、もっと暗くて喋らないやつなのにという気持ちが出てきてしまいます。

友達の子の私に対するイメージは明るい子で、その明るい部分の私を好きになってくれた訳であって、本当の私をみたら絶対に飽きれられるって思ってしまって。そうならないために頑張ると疲れちゃって、好きなはずなのにその子のことが嫌になります。なんか、人と喋るのが嫌になってしまいます。

長文すみません。こんな症状をタニシさんはどう治されたのか、是非聞きたいです。


たにしの回答 - "『本当の自分』を受け入れてもらえる居場所を見つけることで、『そのままの自分でもいいんだ』という自己肯定感を得ることができる"

なるほど、よくわかりました。あの記事で私が書いた「ロール」…Aさんの場合は「明るく元気な女の子」という、本来の自分ではないロールを引き受けてしまい、抜け出せなくなり苦しんでいるということだと理解しました。かつての私と同じですね。


理想的なことを言えば、「明るく元気な女の子」という、無理をしたキャラを作ることを最初から止め、本来の「暗くて喋らないやつ」という自然なキャラで最初から他人と接するというのが、一番の解決策になるかと思います。でも、すでに出来上がった人間関係の中で、いまさら「キャラ変更」するというのも、なかなか難しいことですよね…


ひとつ気になったのは、Aさんはなぜ、本来の「暗くて喋らないやつ」ではなく、「明るく元気な女の子」というキャラで、他人と接しようとしてしまうのか?という部分です。それは、Aさん自身が、自分本来の「暗くて喋らないやつ」というキャラでは他人から受け入れてもらうことができないと、恐れているからではないでしょうか?

この恐れは、とてもよく解ります。特に学生時代は「明るい人気者」であることが、クラスの中で居場所を作るときに強く求められますから、そうした自分でなければ孤立してしまうのではないか、という恐れは、とても自然なものです。ですから、Aさんが無理をしてまで「明るく元気な女の子」として振る舞うのも、無理のないことだと思います。しかし、無理のある「作り物の自分」で周りと接していくことはやはり辛いし、そんな関係は、やはり長くは維持できない。Aさんの悩みも、そこにあるのでしょう。


そこで提案なのですが、「暗くて喋らないやつ」という、本来の自分のままで受け入れてくれる「居場所」を、学校以外の場で新しく作るというのはどうでしょうか?その場所は趣味の集まりでもいいし、ボードゲーム会のようなイベントでもいいでしょう。そうして「本来の自分」を出せる場所を作ることができれば、学校での人間関係の息抜きの場所として、自分がのびのびと過ごすことができる場所として。癒やしの場として機能してくれるのではないでしょうか。


私自身、Aさんと同じ症状で悩んでいましたが、私がこの症状を抜け出すことができたのは、時々ブログで書いているバー*1で、無理をしない、本来の自分のキャラを受け入れてもらうことができたからだと感じています。Aさんも、「本来の自分」をそのまま受け入れられる経験を積めば、たとえ学校で「本来の自分」を受け入れてもらえなくても、自分には居場所があるという安心と、自分はそのままでいいんだという自信(自己肯定感)を身につけることができるのではないでしょうか。そうすれば自ずと他の場所でも、人間関係で無理をしてまで相手に合わせようとすることは無くなっていくでしょう。


私が考える解決法は、こんな感じです。まとめると、

  1. 「本来の自分」を出せないのは、「本来の自分」ではこの場所で他人から受け入れてもらえないのではないかという恐れがあるから。
  2. この恐れを解消するには、「本来の自分」で居ても受け入れてもらえる居場所を見つけることで、「そのままの自分でもいいんだ」という自己肯定感を得ることが有効。
  3. 「居場所」で自己肯定感を得ることができれば、自ずと他の場所でも人間関係で無理をしてまで相手に合わせようとすることは無くなっていく。

ということです。


回答を受けてAさんから - "『本来の自分』が何なのか、分からない"

こんなにちゃんと答えてくださって本当にありがとうございます。なんだか、私のこと全部お見通しって感じです。タニシさんがあげてくれた解決方法を絶対に試します。本当にありがとうございます。

でも…。最近、本来の自分って何だろうって思ってしまって。何を喋ってもずっと一緒だとどんな人でも疲れるし、ふいに、何も喋りたくなくなる時があって。疲れるって事はやっぱり素の自分で話せてないからじゃないのかなって思ってしまって。


私、人によく、学校楽しい?って聞くんです。それで大抵の人は「めんどくさいけど、友だちと喋るのは楽しい」って言うんですが、これが本当に理解出来なくて。というか、なんで楽しいって思えるのかが不思議で…。それで、学校は友だちと話せるから楽しいんだって言い聞かせて、自分がおかしいんだって心の中で思ってます。

私はグループ付き合いが苦手です。なんでかはわからないんですが、私とは違う誰かが2人以上いると、どうやって話せばいいのかわからなくなるんです。かと言って、二人でいると会話がなくなって無理して喋って疲れます。なんか、書いててほんと私ってめんどくさいな性格だなって思います。これは、きっと性格の問題で直せるものではないと思いつつ、自分なりにこの感情と闘っています。

後、暗くてしゃべらない奴っていのが本当の自分って訳でもなくて、すごく楽しく喋る時と暗くて喋らない時の差が激しいというか…。自分でもよくわかんないんですけど…。


たにしより、その2 - "『どちらも本当の自分の一部分』が正解"

読みました。暗い時の自分と明るい時の自分、どちらも自分の中にいて、本当の自分はどちらなのかわからない、と。これについては、「どちらも本当の自分の一部分なんだ」と考えるのが、正解なのではないかと思います。


平野啓一郎さんという方が書かれた、「分人主義」という本があります。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

この本では、「本当の自分」というものの人格はひとつではなく、相手との関係性によって変化する人格それぞれがあり、それの総体が「本当の自分」なのだという考え方が出てきます。友人Aといるときの自分、友人Bといるときの自分、家族といるときの自分…すべて、「本当の自分」の一部なのです。


Aさんは、友人Aといるときの自分と、友人Bといるときの自分の違いに違和感を感じており、どちらかが「偽物の自分」「ウソをついている自分」だと感じているのかもしれません。そしてそれは、不誠実な態度だ、と。

しかし、人間の人格というものは、相手との関係性によって変化して当然です。学校の先生の前にいるときの自分と、親といるときの自分では、接し方が変わって当然でしょう?ですから、暗い時の自分と明るい時の自分、どちらも自分の中にある「分人」のひとつなのだと考えればよいと思います。相手との関係の中で、自然と現れてくる人格ひとつひとつが、Aさんの人格の一部分なのです。


Aさんが友人と接していて楽しいと思えず、疲れてしまうのは、暗い自分と明るい自分、どちらかの分人で自分の人格を統一させようとしているからなのだと思います。しかし、「分人」の考え方で、人格というものは相手との関係性によって変化するものなのだと考えていれば、そのどれもが「自然な自分」なのだと考えていれば、Aさんの友人への気負いも薄れ、関係を楽しむことができるようになるのではないでしょうか。

「分人主義」、Aさんのような方に非常にオススメの本なので、是非いちど、読んでみてください。


Aさんより、その3

またまたありがとうございますっっ。すごくなるほどなって思いました。

ひとは分人から成り立っているから、くらーくなってる時もほんとの私なんですね。安心しました。遊んでんる最中に急に暗くなってもそれは大丈夫なんですね。良かった…。楽しく話している時も、あぁ、また私無理してるって思うのではなく、これもホントの私で楽しくて喋ってるんだって思ったら、気持ちがとても楽になりました。


でも、私の性格上、友達だとしても長時間一緒にいたり、毎日顔を合わせて話すのは苦手なんだと思いました。だから、適度に顔を合わせて話すという距離感の方が私には合っていそうです。学校という場は私には少し距離感が近すぎると感じます。でも、社会に出たら毎日同じ人と仕事をすると思うので、そこは社会人として頑張りたいと思います。

友達と遊ぶのなんで楽しいんだろうっておもって、やっぱり私がおかしんだなって思っていたんですけど、タニシさんのお話を読んでこれが私なんだって思うことが出来ました。私と同じような人との距離感をもった友人や恋人が欲しいです…。大学に行ったら会えますかね…。私こんな性格なんで今まで長く続かなくて…(笑)


あの、改めて、私の相談にのってくださって本当にありがとうございました。今までにも学校の子とか、学校の先生に相談してきたんですけど、みんな揃って、えぇー??なんでそう思うの??とか、色んな人に合わせられるのはいい事だよ、とか、私の根本的な悩みの種には誰も気づいてくれなくて、諦めてたんです。

でも、タニシさんだけは全然違って、私の悩みを正確に読み取って、的確なアドバイスをして下さって、本当に嬉しかったです。私の気持ちがわかると言ってくれた方も初めてでした。この度は本当にありがとうございました。もしよろしければ、また私が悩んだ時に相談に乗ってくださると、とても嬉しいです…。本当にありがとうございました。

あと、本も買って読もうと思います!


たにしより、その3

そう言ってもらえると、よかったです。お答えした甲斐がありました。私で答えられることであれば、また相談いただければお答えしますね。

Aさんは、学校で周囲の人間との距離感が近すぎることに悩んでいるようですが、高校までの学生時代というものは、人生の中で最も、他人との距離が近い時期だと、これまでの人生経験の中で私は感じています。あの時代は今にして思えば、逃げ場がない場所でクラスメイトとの近すぎる距離感を強要される時代でした。大人になれば、経済的にも行動制限的にも自由になり、他人との距離感も、もっと自由に調整できるようになりますよ。


「社会人になれば、気の合わない人間とも付き合わなければならない」などと周りの大人は言うかも知れないし、私も言われてビビっていましたが、あれは大嘘でした(笑)

確かに仕事では、気の合わない人間との付き合いもこなさなければならない場面は出てきますが、それは仕事上の「役割」という形で付き合う必要があるだけであって、友人のように感情をやりとりするようなものではないので、気楽なものです。コンビニの店員さんとやりとりするとき、相手と気が合うかどうかなんて、考えないでしょう?それと同じです(笑)

ですから、Aさんのような性格であれば、大学、社会人と人生が進むにつれ、今よりもどんどん生きやすいと感じるようになっていくのではないでしょうか。その点は、安心していいと思います。これから、どんどん人生が楽しくなっていきますよ。

今後のAさんの人生が、幸多きものになることを、陰ながらお祈りしています。