40代にして、初めて「寂しさ」という感情を知った

コロナで人と会う機会が減って、若いころに比べてずいぶんと寂しがりやになっている自分に気が付いた。孤独には強い方だと産まれてこの方ずっと思っていたというのに。


幼少のころの私には、友人がほとんどいなかった。思春期にはそんな自分に劣等感を持ち不登校になるなど辛い想いをしたけれど、その辛さはあくまで周囲と比べたときの自分のコミュニケーション能力の低さへの劣等感であり、友人がいないことそれ自体を苦痛だと感じたことはなかった*1

1人で趣味に熱中している時間は楽しかったし、時に消費し、時に創作し、いまよりもはるかにコンテンツから「充実」を引き出すことができていたと思う。それは若さ特有の瑞々しい感性や、劣等感という現実からの逃避の必要性に依る面も大いにあったのだろうけれど、少なくとも当時の私はいまよりはるかに孤独との付き合い方が上手かった。


たぶん、この10年ほどの間によくも悪くも私の感性が変容してしまったのだと思う。

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↑で書いたように、ここ10年ほどの私はバー通いを通じて「友達がたくさんいる人間」になっていた。そしてそれに伴ってコンテンツへの接し方も変わっていった。10代のころのアイデンティティの中心を担うような本気で重いものから、人間関係の添え物のような気楽で軽いものへ。中心はあくまで人間関係。コンテンツはそれの潤滑油。

そんな意識でコンテンツと接しているうちに、コンテンツとの向き合い方をすっかり私は忘れてしまっていたようだ。いまの私は孤独を、1人の時間を、すっかり持て余している。自粛の中顔を合せることもできない友人たちとのSNSで交わすたわいもないやりとりやオンライン飲み会が、とても心に染みる貴重なもののように感じられる。正直なところ、1人がつらい。


そうか。これが「寂しさ」という感情か。


若いころの私は人間関係の暖かさを知らなかったが、それゆえ寂しさを知ることもなく、孤独との付き合い方も上手かった。しかし、いまの私は違う。

これがいいことなのか悪いことなのか、私には分からない。

*1:不登校になったのも、孤独自体の辛さというよりは教室へ行くことで自分と周囲のコミュニケーション能力の格差を否が応でも見せつけられることに対する辛さが大きかったと思う。