【2022.6.9追記】
↓で書いた「恋愛/結婚/セックス市場において男性は金が女性は性が"交換財"である」という概念を「搾取モテ」と名付けることにしました。男性におけるATMや女性におけるセックス依存症のような状態に対して使用するといい感じです。権利は一切主張しませんのでご自由にお使いくださいw
穴モテ女性は非モテなのか問題
Twitter男女論界隈で、とあるトピックが論争になっている。「穴モテ女性は非モテなのか問題」がそれだ。
非モテ男性の多くはそもそもセックスに辿り着けない事に悩むが、対する非モテ女性はセックスはできても心が満たされない事や本命の彼氏と付き合えない事(穴モテ)に悩み、その心が満たされない苦しみを「私は非モテである」と認知する。この違いはなんなのかというのがこの議論の概要である。
先日元イさん(@BeVi56174065)主催で開催された「非モテ女性の話を聞くスペース」においても、3桁の男性経験を持つに関わらず心が満たされない事を理由に非モテ自認する女性が登壇し、これを非モテと呼ぶことに対する違和感が特に男性非モテから多数表明された。穴モテにすら至れない「ガチ非モテ女性」たちも、この件には違和感を感じているようだ。
https://twitter.com/sumomodane/status/1515537298372247554
男性の素人童貞 = 女性の穴モテ理論
これに関して私は、「女性穴モテの量的苦しみは男性非モテと同等。しかし苦しみの方向性がちがう」と考えている。苦しみのスカラー量は同じだが、ベクトルが違うということだ。
これは、セックスの報酬体系の男女差に起因する。
男性にとってセックスはそれ自体が報酬そのものだが、「与える側」である女性にとってセックスは収奪であり必ずしも報酬を意味しない*1。ゆえに女性はただセックスするだけでは満足できず、「セックスを通じた素敵な恋愛」など別の追加報酬を必要とする。ヤリチンは男性にとってモテそのものだが、穴モテは女性にとって非モテでしかないという非対称性がここに存在するのである。
昨日のスペースで出た「ヤリチンは男性にとってモテだけど、穴モテは女性にとって非モテでしかない」は女性非モテの本質と思った。
— たにし (@Tanishi_tw) 2022年4月13日
セックスそのものが報酬になる男性に対し「与える側」女性にとってセックスは収奪なんだよね。セックスを通じた素敵な恋愛なり報酬が必要。それを得て初めて「モテ」。
ここで言う「報酬」は身体的な性的快感を意味せず、むしろ精神的な側面が大きい。性的快感であれば女性も男性と同等かそれ以上に受け取っている*2。
男性にとってセックスには「男としての有能さの証明」「女性を攻略した達成感」といった精神的報酬が存在し、むしろこちらが報酬の本命だと言える。素人童貞が肉体的セックス経験があっても非モテ扱いされるのは、まさしくこの精神的「本命」を入手できていないからだ。
一方女性にとって、セックスは交渉の材料という側面が大きい。女性にとって性的魅力は男性から求められる「資源」である。これを利用して男性から引き出す「チヤホヤ」「愛情」「資金援助」。これが女性の「本命」だ。「ヤリ逃げ」を女性が蛇蝎の如く嫌悪するのは、この行為がまさに女性の財を不当に収奪する強盗行為であるからに他ならない*3。
どうでもいい男性との穴モテにおいて、女性は本命である精神的報酬を受け取れていない。これはセックスはできても本命の精神的報酬を受け取れていない男性における素人童貞とまったく同じ状態だ。ゆえに女性の穴モテは非モテなのである。男性の素人童貞が非モテであるのと同じように。
①.男性素人童貞 = 非モテ
②.男性素人童貞 = 女性穴モテ
ゆえに
ここに至って上記等式を、私たち非モテ理論家は論理的に導き出す事に成功したのである。な、なんだってー!!
可視化された女性非モテたち
ここまでの議論をまとめると、上図のようになる。非モテ論界隈では、非モテ女性不可視化の謎が長年議論され続けてきた。たくさんの男性非モテが声を上げ、悩み、苦しむ様がネット上で観測されるのに対し、同じような女性非モテはほとんど観測されない。女性は強力な性的資本を持ち恋愛において有利ポジションにいるため、非モテに陥る絶対数がそもそも少ないのではないかというのがこれまで論壇の定説だったが、これは間違っていた。
女性穴モテ層もまた、非モテだったのである。だがセックスが最大の報酬である男性にとって、穴モテはモテにしか見えない。このことが完全に盲点となっていた。「穴モテ系非モテ女性」まで含めれば、女性非モテは男性非モテと同じくらい、既に可視化されていると言えるのではないだろうか?
オーケー君たちの苦しみは理解った。だがこれは「非モテ」なのか?
ここまで「男性素人童貞=女性穴モテ=非モテ」が成立する論理的背景について解説してきた。しかしこの言説にはまだ議論の余地が残されている。
そもそも「モテ」という言葉は「たくさんの異性からチヤホヤされる状態」を示す言葉だ。穴モテ女性はこの点で明らかに「モテ」の状態にある。ただその「モテ」の制御に失敗しているのが穴モテ女性なのである。
これに対して非モテ男性はそもそも「モテ」の状態に辿り着くことができていない。この点において男性の非モテと女性の穴モテは明らかに異なっている。
ヤリチン男性が幸福であるのとは対照的に、穴モテは確かに女性にとって不幸な状態だ。本稿で示した通り、この違いはセックスにおける男女の報酬体系の違いに起因する。しかしこの不幸は「非モテ」という言葉で表現するのが適切な不幸なのだろうか?
この点については今後識者によるさらなる議論が必要になりそうだ。
ブコメにお返事
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718292050450415330/comment/saori-yamamura
穴モテ女性は、素人童貞の男性よりは、アッシー君メッシー君ミツグ君に近い存在だと思うんですが…ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫
あーこれはまさしくその通りと思います。慧眼です。
アッシーにしろ素人童貞にしろ穴モテにしろ、この議論のポイントは男性にとっては金銭が、女性にとっては性的資本が、それぞれ「財」であるということなんですね。その財を異性から対価なく略奪されていることが、アッシー男性/穴モテ女性の共通項なわけです。その点で素人童貞は、財の交換が成立しているぶん少しだけマシかもしれませんw
かつて心理学者/フェミニストである小倉千加子先生はその著書『結婚の条件』において、「結婚とは男性のカネと女性のカオの交換である」と身も蓋もなく言い放ちましたが、この金言はこの議論においても真であったということですね。天才か!
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718292050450415330/comment/NOV1975
残念ながら古来から「女性にモテモテでやりまくりなんだけど本命に振られて愛が得られない男性の話」は一大ジャンルでありますな。源氏とか
アレ紫式部が女性なのがポイントだと思っていて、自身の女性的恋愛観を男性に投影して書いたのが源氏物語なんじゃないですかね。その結果、男性が穴モテ(竿モテ)という女性的な恋愛の悩みを抱える物語になった*4。今でいうBLみたいな。
そう考えると穴モテ女性の苦しみは、平安時代の昔から女性にとって普遍的な苦しみなのかも知れません。