デキる分野はますますデキるように、デキない分野はますますデキなくなっていくのが 大人になるということ

これは、「コミュニケーション能力や政治力を、仕事で使うか使わないか」が、大きいように思います。

社会人になれば、人生で最も時間を割くのは仕事にならざるを得ないわけで、そこで必要になる技能は自然に磨かれていくし、必要ない技能は自然に劣化していく。

コミュニケーション能力や政治力に限らず、プログラミングや芸術やスポーツなど、あらゆる分野で「三十代、四十代ともなれば、平均は小中学生よりもかなり高度になっているけれども、分散は大きくなっている」と、いえるのではないでしょうか。

ただ、これらの能力はコミュニケーション能力と違い、日常的に誰もが必要に迫られる能力ではないから、表面化しにくいだけで*1


これにプラスして、「本当に向いていないこと」は、そもそも仕事として続けていくことができないので、就業後早い段階で淘汰され、仕事で能力を磨く機会そのものを奪われてしまう、という側面もあると思います。

プログラマーになったもののまったく適正がなく別の業界に転職していったり、営業に配属されたものの顧客との交渉がまったくできず、企画職に移勤させられた人間など、僕もこれまでの人生の中で、数多く見てきました。

能力というものは残酷なもので、必ずしも本人が望む能力が与えられるとは限らず、才能のない分野でどんなに努力しても、ほとんど、あるいはまったく能力を開花させることができないということが、あり得ます。

仕事につくということは、自分がもつ能力の中でどの部分を磨き、どの部分を捨てるかの取捨選択という側面が、必ずあるわけです。そう考えると、「デキる分野はますますデキるように、デキない分野はますますデキなくなっていく」、あるいは「デキないことがデキないままでも困らないようになっていく」のが、大人になるということなのかもしれません。

*1:たとえば、「上手に絵を描く能力」は、芸術家以外の人間にとっては、「無いと困る能力」ではありません。