食事の度にいちいち罪悪感感じてたら、死ぬ
前回の記事には様々なご意見をいただき、ありがとうございます。その中で個人的に一番共感できたものは、これでした。
「現実の世の中の人の大半は(上手に)騙されたがっている」という事実を認められるか、だろうなあ。それを認めた上で「ごめん、私にはあなたを騙すだけのスキルが無く、あなたの需要を満たせない」と謝るのが私のスタイル > URL
「みんな上手に騙されたがっている」という事実がある。ホント、これが前提だと思うんですよ。皆様ここを理解されたうえで動かれているのなら、各人どんなスタンスをとられても、僕としてはあまり文句ありません。
あとはその事実に対して、「求められているんだから、騙してあげるのが正しい」とか、「いや、騙すのはやっぱりいかがなものかと思うよ」とか、各々が自分の信じるスタンスとればいいんじゃないの、と。対立するスタンスに対しては、お互いイライラするとは思いますけど、まぁ、しょうがないですね。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20130317/p1
恋愛、友人関係に関わらずお付き合いは、好感の交換からスタートする。もっと言えば、他人との付き合いはどんな場合でも、相手に好ましく思われるように良いところをまず見せる、という言わば「偽善的」な振る舞いからしか始まらない。
自分がなんで「騙している」部分にこだわるのかといえば、id:ohnosakikoさんが↑のエントリでいうこの「偽善的」な部分に強い生理的嫌悪感を感じるという、まぁ、感覚的な理由からです*1。でも、長年生きてきて観察していると、世の中の多くの人は、あんまりそう感じないみたいですね。
世の中には、「セックス」や「モノを食べること」に対して強い生理的嫌悪感を感じるという人がいるみたいですけど、僕はどうも、「嘘」に対してそういう感受性が強いみたいなんですね*2。
1日3食、食事のたび罪悪感に苛まれていたら、さぞや生きづらいでしょうし、かといってそこで無理やり自分の信念を貫けば、餓えて死にます。このように、世の中には、「潔癖すぎると社会適応が難しくなる感性」というものがあり、自分の場合「嘘」に対する感受性がそれっぽいです。
「自意識高い系男子」、まぁ、いろいろ難儀ではあります。
自分のことしか考えていない?
いろいろご意見いただいた中で、「タニシは自分のことしか考えていない」というものが多かったんですけど、コレは本当に、なぜそういうことになるのかわからないですね。
http://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2013/03/16/235129
不幸な事態を未然に防げるよう、欠点も含めた判断材料を相手に与えることが、「相手に対する思いやり=『誠意』」でなくて、一体なんなのでしょうか…?
と書いたように、自分よりも相手を優先して考えたからこそ、自分が不利を被ってまで「長所も短所もすべてさらけ出す」ことを選択しているわけで、これが「自分のことしか考えていない」といわれてしまうのは、ちょっと理解に苦しみます*3。
これが、「相手は自分で判断したいんじゃなくて気持ちよく騙されて欲しがってるんだから、気持よくしてあげることが『相手のことを考えてる』ってことなんだよ!」と言われるのであれば、「あぁ、そういう『相手のことを考える』やり方もあるよね」と、理解できるんですけどね*4。
そういう需要と供給の視点で考えれば、確かに僕は相手の需要を満たしてあげていないですし、人間関係は市場原理で動いているので僕の感性は圧倒的に不利ですし、だから俺はいい歳こいて独身ですしモテていないので、ああ、この点、確かに増田の言うとおりだな、と思いました(独身ネタ2回目)。