ひとり暮らしで「生活力」は鍛えられても、「共同生活力」は鍛えられない

ひとり暮らし > 実家暮らし?

世間では、いい歳した大人が親と同居していることについて、「甘えている」「自立していない」などと言い、あまりよい風潮がありません。こうした人間を邪喩を込めて批判する言葉として、「パラサイトシングル」などという言葉が流行した時代もありました。

少し前、タレントのマツコ・デラックスが、親と同居するアラサー独身女性を、「甘い」と批判したことが、ネット上で話題になったこともあります。


マツコ・デラックス「ある程度、社会に出た途端に、一人暮らしさせた方がいいよね」


有吉弘行「うん」


マツコ・デラックス「30歳でしょ?短くて7~8年、長くて10年くらい世に出てから経ってるわけでしょ?それでこの暮らしをできちゃったらね…親がいるから、寂しくもないしさ、それほど切迫してないと思うよ。それでみんな『はっ!』って気づいた時には、手遅れになってるのよ。今の女、ほとんどそうじゃない?」


夏目三久「でも、彼氏によって変わるってことはないですか?」


マツコ・デラックス「えぇ~?無理でしょ。男の前ではいい顔するかもしれないけど、性根の部分は変わらないですよ。結婚して、2年もすれば、ドロボー入ったみたいな家になりますよ。そうしたら、その時点でジ・エンドですよ」

このように、ひとり暮らしをしている人間は、実家暮らしの人間よりも苦労し、成熟しているとみなす風潮が、世間には存在するようです。親と同居していれば、食事も掃除も、生活に関わるあらゆる部分を親に頼ることができるので、生活力の訓練がされないまま歳を重ねてしまうという側面は、確かにあると思います。

しかし、あまりにも長くひとり暮らしを送っていると、それはそれで別の問題が現れてくるのではないかと、ひとり暮らし歴20年近くを誇るベテランひとりグラサー(造語)である、私などは思ってしまうのです。今日は、そのことについてお話します。


ひとり暮らしで身につく生活力は、「ひとりで生活するための生活力」でしかない

ひとり暮らしをしていると、掃除も食事も洗濯も、家事をすべて自分でこなさなければいけないし、家賃や光熱費などの経済感覚も必要となってくるので、確かに生活力はつくと思います。


しかし、ひとり暮らしの生活は、独りです(当たり前ですが)。独りということは、「誰に気を遣うこともなく、自由気ままに生活できる」ということです。オナニーひとつとっても、家族の顔色や、階段を昇って来るかすかな気配をうかがう必要など、一切ありません。

実家で家族と生活していれば、いかに家族と言えども、それなりに気を遣う必要は出てくるでしょう。しかし、ひとり暮らしの生活には、そうした共同生活の気苦労が、全く存在しません。

結婚するまで実家暮らしで家事をすべて母親に任せていた人間が、結婚を機に突然家事の一切を任されるというのも無理な話ですが、それまで気ままなひとり暮らしを送ってきた人間が、突然「ひとつ屋根の下」で同居人に気を遣った生活を送らされるというのも、それはそれで無理な話のように思われます。


ひとり暮らしで身につく生活力は、あくまで「ひとりで生活するための生活力」であって、「共同生活を送るための生活力」ではないのです。「共同生活を送るための生活力」は、家族と一緒に暮らしていたほうがよほど訓練され、身につくのではないでしょうか。


現代のひとり暮らしは、たいして大変じゃない

「ひとり暮らしで苦労すると、親の大切さがわかる」「ひとり暮らしの苦労が人を成熟させる」とは、よく聞く言葉です。しかしこれは、家電や外食サービスが未成熟だった、ひと昔前の言葉であるように、私には思われます。

そもそも、現代のひとり暮らしは、たいして大変ではないのです。

イマドキの乾燥機能付き全自動洗濯機は、外出前にボタンひとつ押しておけば、洗濯から脱水、乾燥に至るまですべてを自動的にやっておいてくれますし、ルンバや食器洗い機など、家事をサポートする機械はここ数10年で劇的な進歩を遂げました*1

これら文明の利器を駆使すれば、ひとり暮らしの狭い部屋では、ハッキリ言って家事など楽勝です。1950年代にハインラインが夢想した文化女中器は、半世紀の時を経て現実のモノとなったのです。


食事についても、外食を利用すれば手間も技術も一切必要ありません。長引くデフレ環境の下、牛丼チェーン店や弁当屋などの外食産業は、驚異的なコストパフォーマンスを実現しました。いまでは1食500円も出せば、充分に美味しい食事にありつくことができます。

こうした家電や外食サービスの発達は、ひとり暮らしの難易度を、劇的に下げました。実際、私がひとり暮らしをして感じたのは苦労ではなく、家族への一切の気遣いから解放された、気楽さばかりでした。

「ひとり暮らしの苦労が人を成熟させる」

ひと昔前、洗濯ひとつとっても手洗いで数時間かけて行なっていた時代ならまだしも、現代のヌルい環境下でこの言葉ははたしてどれほど真実なのか、私はかなり疑問に思っています。


長すぎるひとり暮らしにご用心

これまで見てきたように、「ひとり暮らしをしている人間のほうが、実家暮らしの人間よりも成熟している」という風潮は、現代では必ずしも真とは言えないと、私は思います。

ひとり暮らし経験が長く、ひとり暮らしに最適化された生活パターンを骨の髄まで身につけた人間は、結婚生活やシェアハウスなどの共同生活をはじめたとき、むしろ不適応を起こし、苦労することになるのではないでしょうか。


実際いまの私は、「同じ屋根の下で別の人間が暮らしている生活」について、実感を持って想像することがまったくできません。10代までは家族と暮らしていたので、共同生活の経験が無いわけではないのですが、長いひとり暮らしの中で、その感覚をすっかり忘れてしまいました。私が結婚したら、新しい生活に慣れるまで、おそらく相当強いストレスを感じることになるでしょう。

ひとり暮らしは、「生活力の訓練」という意味では経験する価値があるとは思いますが、そこで身につくのはあくまでも「ひとりで生活するための生活力」です。その生活にあまりにも長くハマり込んでしまうと、今度は「共同生活力」が下がってしまいます。

ひとり暮らしをする際には、こうした危険性も頭の片隅に置いておくとよいのではないかと、私は思います。


夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

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*1:後者2つは私は使ったことはありませんが、製品レビューなどを見ると、おおむね好評のようです。