コンプレックスの投影からくる認知バイアスによる、理想化/愚者化

コンプレックスの投影による、理想化

ずいぶんと、「こじらせていない人」や「美人」を、理想的な人間として盲目的に信仰しているな、という印象の増田。対照的に「非モテ」に対しては、これでもかというくらい、悪い印象を持っている。

http://anond.hatelabo.jp/20130620211010
私が美容オタ化していった理由は完全に、美人に話しかけられたいから。

自分の顔に興味関心なんて無かった。色々やったところで土台がいい人に敵わないことくらい熟知しているし。

でも美人に話しかけられるってことが本当に幸せで。

学生時代は遠くから見ているだけだった美人と会話できていることが幸せで。

これ、たぶん、増田のコンプレックスの投影ですよ。

増田が、なぜここまで美人の「いいところ」ばかりに目が行き、美人が大好きなのかといえば、増田自身の容姿へのコンプレックスから由来する美人への盲目的憧れが、プラスのバイアスとして働いているからですよ。逆に不細工に対しては、同族嫌悪によるマイナスのバイアスが働き、悪いところばかり目に入ってくる。このバイアスから、増田がもつ美人礼賛の世界観は産まれている。

そしてこのバイアスに、増田本人はたぶん、気づいていない。


とはいえコレ、別に増田だけが抱えている問題じゃないですけどね*1

若いうちは特に、容姿というわかりやすい魅力に誰でも惹かれがちですし、「あばたもえくぼ」という言葉もあるように、「恋」という感情の本質は、こうした相手の欠点が一切見えなくなるほどの盲目的な理想化にありますし*2、「※ただし、イケメンに限る」というネットスラングは、こうした「容姿バイアス」の存在を、多くの人が実感しているからこそ広まったのでしょうし。

こうした理想化した相手と付き合っていることによって、増田がコンプレックスを癒され、幸せを感じているのだとすれば、それはそれで、増田にとっては心底幸せなことなのでしょう*3。そのことについて、とやかく言うつもりはありません。


好きになれる相手の幅が狭い = 心理的充足対象の幅が狭い

ただ、この増田からは、そのコンプレックス由来のバイアスの強さから、非モテを見下している印象を強く受けました。それは、負の感情を投影される非モテにとっても不快なことですし、長期的に見て、増田本人をも苦しめることになる可能性を持った危険な感情なのではないかと、私は危惧します。

特定の属性を持った人間を見下すことは、交際相手の幅を狭めることを意味します。いまのバイアスを持ち続ける限り、増田は非モテな人間のことを、絶対に好きになれません。

そしてそれは、心理的セキュリティホールとなります。人間は、他人を好きになることで心理的充足感を得る生きものですが、好きになれる人間の幅が狭いということは、それはそのまま「心理的充足を感じられる相手の幅が狭い」、「心理的充足を得られる可能性が少ない」ということと、イコールだからです*4

増田は現在の人間関係を心底幸せだと感じているようですし、増田が考える「素晴らしい人々」との交際を続け、「増田はコンプレックスを乗り越え、リア充伴侶と生涯幸せに暮らしましたとさ」という、ハッピーエンドの結末となるやもしれません。

しかし、もしなんらかのキッカケで増田の人間関係が貧弱なものとなり、「素晴らしい人々」から心理的充足感を得られなくなったとき。増田が持つ偏見は、他ならぬ増田自身に対して、その牙を剥くことになるでしょう。

かつて同じような心象を持ち、未だ引きずっている人間として、増田にそのような不幸が訪れないことを、切に願います。


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*1:増田はかなり、というか非常に、このバイアスが強い人間だとは感じたましたが。

*2:「恋は盲目」。

*3:このとき増田が感じている「幸せ」には、「こんな理想の相手と付き合『える』ようになった自分!」に対し、自己愛的に酔っている部分もあると推測。「自慢乙とものすごく叩かれてしまった。」と書く増田の、嬉しそうなドヤ顔が眼に浮かぶようです。

*4:単純に言えば、「(男女問わず)他人に惚れにくい、ストライクゾーンが狭い人間になってしまう」。気になる方は、「理想化自己対象」「コフート」などの単語で検索をかけてみると面白いかも。そっちの言葉で言えば、「自己対象候補の幅が狭まってしまう」。