真のコミュ症とは、初対面の人間とは割と話せる、が日を追うごとに気まずくなっていく人間を指す

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上の記事、完全に私のことだ、と思いました。私は、自分のことをコミュ障だと思っているのですが、それを最も痛感するのが「初対面の人間とは割と話せる、が日を追うごとに気まずくなっていく」という、タイトルのような症状が露呈してしまったときです。

普通、コミュニケーションというものは、初対面のときが一番緊張し、何度か会う中で信頼関係が産まれ、徐々に自然体でコミュニケーションをとることができるようになる、という段階を踏むのが一般的だと思います。

ところが、私の場合は逆なのです。初対面は、むしろ一番得意なのです。普通の人よりも積極的に話題を振り、ノリよく話を盛り上げ、笑いまでとれる。私は若いころ、ナンパなどしていた時期もあったのですが、そうした「一期一会」の場では、私はまるでリア充のように快活に、堂々と振る舞うことができ、いわゆる「お持ち帰り」の経験すら何度かあるほどです。



こうした初対面の私の様子を見て、相手は私のことを社交的な人間なのだと思い、次回以降もそのつもりで接してくる。ところが、何回かその人と会い、親密になっていくと、なぜかガチガチに緊張してしまう。緊張しているから、話を振られても頭が真っ白で何も受け答えできず、会話が続かない。楽しめない。

挙動不審な私を見て、私の緊張が相手にも伝わり、微妙な空気になる。それを挽回しようと焦れば焦るほどますます頭が真っ白になり、ドツボにハマり、ますます無口になったり、挙動不審になったりする。こうしたことを何度も繰り返すうち、お互いなんとなく気まずくなり、次第に疎遠になっていく…



私の人生で、こうしたことは何回も何回も、本当に何回も、うんざりするくらいに繰り返されてきました。あまりにも繰り返され、そのたびに悩まされるので、このことについては自分なりに相当考え抜いたつもりです。

なぜ私は、初対面の相手とは普通に接することができるのに、親しくなるにつれてむしろ緊張してしまうのか?

これは、私のコミュニケーションにおける規範意識/役割意識が非常に強く、無理をしてまで期待される「友人という役割」をこなそうとしてしまうからだと考えています。



「キャラ」による役割分担(ロール)

コミュニケーションをとるとき、人は無意識のうちに「キャラ」による役割分担を行っています(『ロール』と言うようです)。ボケ役、ツッコミ役、盛り上げ役、聞き役、先輩、後輩、親友、彼女、etc…「キャラ」を固定化することによって、個人はコミュニティ内での振る舞いの指針を得、安心して行動を起こすことができるようになり、人間関係が安定します。

しかしこの安定は、「キャラ」に行動を縛られてしまう不自由さと、表裏一体の安定です。ふだん後輩キャラで通っている人が、ある日突然先輩にタメ口で「パン買ってこいよwww」などと横暴な振る舞いを始めたら、コミュニティの構成員は違和感を感じ、「空気読めよ」と批判したくなることでしょう*1。「後輩キャラ」のキャラから外れた行動によって、コミュニティの秩序が崩れ、不安定な状態になってしまったからです。



このように、コミュニティには「キャラ」という役割が存在し、構成員はコミュニティ内で割り振られた役割を演じ、そこからはみ出した行動を取らないよう、無言の期待と圧力を受けています。この役割は、個人の性格、容姿、年齢、社会的立場、趣味趣向などから自然発生的に決定され、付き合いが深まる毎に固定化されていきます。

初対面の相手とは、相手との関係性が何も発生しておらず、フラットな状態です。これは、お互い相手のことがまだよく分かっていない代わりに、先入観も少ない状態です。先入観が少ないということは、どのような振る舞いも期待されていない、つまり、コミュニケーション上の役割…「キャラ」の圧力から自由だということです。

「初対面が苦手」という人は、まだ「キャラ」が決定されておらず、各人のコミュニティ内での役割が不安定で行動の指針が掴めない状態を「苦手」だと感じているのではないでしょうか。こうしたタイプの人は、付き合いが進み、各々の「キャラ」が固定化されるにつれ緊張も薄れ、自然体で振る舞うことができるようになっていくというステップを踏むのだと思います。



「友人」というロールをこなそうという義務感

それに対して私は、まず「友人」という役割に、強い苦手意識を持っています。「友人」の役割として期待されるものには、

  • タメ口で話をするような、気を置けない、遠慮のない関係
  • 気軽に冗談を言い、笑い合えるような関係

などがあると思うのですが、私はこうした関係が極端に苦手です。なぜ苦手なのか?という話はとりあえず置いておいて、とにかく苦手なのです。「友人」のような関係は、私にとっては距離感が近すぎると感じます。もっと距離を置いた関係が、私にとっては心地よい。

初対面では距離感があった相手も、何回も顔を合わせていけば、私を「友人」と認識しはじめます。友人としての親密な関係を求め、距離を詰めてくる。敬語が減り、タメ口になってくる。初対面の時点では、私は「社交的なキャラ」と認識されているので、なおさらです。

が…

実際には、そうではないのです。私は単に、初対面の「先入観が無い関係」「キャラの重圧がない関係」「それゆえ距離を置いた関係」が得意なだけで、「友人」のような「接近戦」は、大の苦手なのです*2

しかし、時すでに遅し。私は「友人」圏内まで、相手の侵入を許してしまった。

ここから先はもう、「悲惨」のひとこと。期待される「友人」という役割に対し、どう振る舞っていいかわからない。そのクセ私はコミュニケーションに対する規範意識だけは妙に高いらしく、「友人」の役割を義務感だけで必死にこなそうとする。

でも、どう振る舞っていいかわからない。上手くいかない。ギクシャクする。「今度こそ上手くいかせよう」という意識ばかり強くなるが、それが逆にプレッシャーとなり緊張を産む。頭が真っ白になる。ますますギクシャクする。挙動不審になる。更に苦手意識が強まる。更に緊張する。「友人」という役割を果たして自分にこなせるのだろうか?自信を失う。更に挙動不審になる。だんだん「友人」という立場自体を恐れるようになる。「友人」怖い。「友人」怖い!!「友人」怖い!!!!!

こうした負の螺旋の経験を繰り返すうち、最近の私は、そもそも初対面から社交的に振る舞うことを自重するようになりました*3。「友人」という近距離戦に持ち込まず(持ち込ませず)、「知り合い」の立場で遠距離戦を続ける限りにおいては、私は他者と心地よい、良好な関係を保つことができるからです。



友人関係とは、信頼関係がまず先に作られ、その信頼関係を担保にして「気を置けない、遠慮のない関係」「気軽に冗談を言い、笑い合えるような関係」関係に、「自然となっていく」ものでしょう。多くの方にとって、それは心地良い体験なのだと思います。

しかし私は、友人関係になることに、心地よさよりも先に義務感ばかりをなぜか感じてしまいます。

  • タメ口で話をするような、気を置けない、遠慮のない関係に『ならなければならない』
  • 気軽に冗談を言い、笑い合えるような関係に『ならなければならない』

このような義務感で臨む友人関係が、相手にとっても私にとっても、心地よいものであるハズがありません。



原因がわかっても

このように、私の「初対面の人間とは割と話せる、が日を追うごとに気まずくなっていく」症状は、

  1. 初対面のような「遠距離戦」はこなせても、友人のような「近距離戦」が極端に苦手である。
  2. コミュニケーションロールを上手くこなそうという規範意識が非常に強く、義務感で「友人」を演じようとしてしまう。

というふたつの特性が組み合わせって起きている症状だと分析しています。

なぜ私は、近距離戦が極端に苦手で、「友人」という立場に心地よさよりも先に義務感ばかりを感じてしまうのか?

「根本的に他人を信用しておらず、自分をさらけ出すことに恐怖を感じているから」など、理由を挙げようと思えばいくらでもそれらしき理由は思いつきますが、どんな理由よりも「生理的に無理」という表現が、私についてはしっくり来るように思えます。人間には、これ以上近づかれると違和感を感じて落ち着かなくなる、「パーソナルスペース」と呼ばれるエリアがあるそうですが、私は「心のパーソナルスペース」が、普通よりも広いのかも知れません。

なんにしろ、私のこうした傾向は思春期の頃からまったく変わっておらず、原因を分析したところで「友人を『こなさなければならない』」という生理的義務感が湧いてくることを止めることはできません*4。そうして私は、「あー、今日もコミュ障だったわー、コミュ障だったわー」と、飲み会から帰宅後の床の中、枕を濡らしながらミサワのように独り反省会を開くことしかできないのでした。




【2018.10.01追記】解決しました。

この記事を書いてから早5年が経ちますが、未だにアクセスしてくださる方が非常に多く、日々共感の声が寄せられています。この問題で悩んでいる方は、世の中に相当数いることが分かりました。

この記事では「解決方法は解らない」とまとめていますが、あれから私も人生経験を詰み重ね、解決の糸口が見えたように思います。↓の記事も併せてお読みいただければ幸いです。

ta-nishi.hatenablog.com

*1:冒頭に書いたような私の行動は、最初社交的だった私のキャラが突然ネクラキャラに書き換えられてしまったため、相手からすればどう接すればいいかわからなくなり、場の秩序が破壊されてしまった、ということです。

*2:格闘ゲームの「スト2」には、キャラによって得意とする間合いがありますが、私は遠距離戦を得意とするダルシムなのだと思っています。

*3:初対面の「遠距離戦」においては、私は演じているわけでなく、素で社交的な性格になるのです。なぜか。

*4:なにしろ「生理的」なので。