コミュニケーション市場で売れ残った人間は『大人』になれない
「はてな村の精神科医」としてお馴染み、id:p_shirokuma先生の「『若作りうつ』社会」を読みました。
- 作者: 熊代亨
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/02/19
- メディア: 新書
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様々なトピックが取り上げられる本ですが、独身アラフォー男性である私が特に興味を引かれたのは、「コミュニケーション能力の市場化」に関する部分でした。
- 「年の取り方がわからなくなった社会」と「コミュニケーション能力」
http://www.huffingtonpost.jp/toru-kumashiro/communication-society_b_4844993.html現代社会ではコミュニケーションが自己選択=自己責任になり、そうした世代間コミュニケーションは与件ではなくなってしまいました。昔の地域共同体や企業共同体では、否応なくコミュニケーションが強制され、それはそれで大きな軋轢を生みだしてもいたのですが、そうした強制的なコミュニケーションがゴッソリ消滅した結果、異なる世代とコミュニケーションしないまま齢を重ねていく人が珍しくなくなりました。
<中略>
問題は、世代間コミュニケーションを【する/しない】が、実際には自由選択ではなく、往々にして個人のコミュニケーション能力によって決定づけられていることです。現代社会において、人間関係は個人の自由に委ねられ、と同時に自己責任なものになりました。誰と付き合い、誰と付き合わないのかが自由選択になった結果、私達は付き合う相手を選り好みします。「付き合いたいやつと付き合い、付き合いたくないやつとは付き合わない」----コミュニケーションが自由選択になったというのは、つまりそういうことです。
「イエ」「身分」等の社会的制約により人生のレールがいまよりずっと強固に敷かれていた時代から、自由に人生を選択できる時代へ。しかしその自由化は、コミュニケーションの「市場化」を伴うものでした。誰からも好かれる人間=市場価値が高い人間は、就職も配偶も豊富な選択肢から思うがまま。逆に市場価値が低い人間は、たとえ望んだとしてもこれら社会的通過儀礼を経験することができず、いつまで経っても「親」や「指導者」といった「大人」になることができない。
かつて、ちきりん(id:Chikirin)女史は、「教育に関心があると言い出したらその人はアガってる」と言いました。
- 人気ブロガーちきりんさん「教育に関心があると言い出したらその人はアガってる」
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65763976.html人は「自分の過去の成長カーブ」が、「自分のこれからの成長カーブより大きい」と感じ始めると、自分の成長より、他者の成長を手伝うほうが価値が高いと判断しはじめる。
つまり、自分の先行きの成長カーブに限界が見え始めると、「教育に関心がある」とか、「後進に自分の学んだことを伝えたい」とかいう気持ちになるんです。
この感覚は、30代も半ばとなったいま、私にも理解できます。体力的、精神的に老い、これまで築き上げた責任も立場もあり、人生の限界がすでに見えている。そうした中、「自分」ではなく「若い世代」の中に希望を見出すようになるというのは、自然な欲求だと感じます*1。
しかし前述したように、コミュニケーション能力に劣った人間は、配偶者を得ることも、出世して役職を得ることも、難しい時代になりました。非婚化の大きな原因のひとつは、この「コミュニケーションの市場化」なのでしょう。現在、37歳男性の独身率は約30%。この年齢で結婚しても、養育費や性機能の問題から、子供を設けることはなかなか難しそうです*2。
コミュニケーション市場から弾き出された人間の『孤独』と『虚無』の問題
そうした時代の流れの中、今後問題になってくるのは、コミュニケーション市場から弾き出された中高年が抱える「孤独」と「虚無感」でしょう。もはや自らの人生に新たな希望も見出せず、かといって未来を託す後進もいない彼/彼女たちは、いったい何のために生きていけばいいのでしょうか?
たとえ独身だとしても、友人や仲間に恵まれた人間は幸せなのかも知れません。たとえ孤独だとしても、趣味や仕事など、夢中になれるものがれば幸せなのかも知れません。
しかし、人間はそれほど強くはありません。これらの「資産」は、歳を取れば取るほど失われやすいものです。友人は家族を持ち疎遠になり、趣味や仕事への柔軟な感性と好奇心は失われ、無価値な自分を持て余す。
こうした人間は、今後増えていくでしょう*3。そうした孤独な人間が、今後どのように孤独や虚無と向き合い、生きていくのか。そうしたロールモデルがいま、求められている…
…いや、少々他人ごとすぎました。
後進の「コミュニケーション市場から弾かれてしまった人間」への、ロールモデル作りは、私のような独身中年こそが、これから考え、実践していかなくてはならないことなのでしょう。私の周りにも独身の年長者はいます。彼らは、たとえそれが大層なものでなくても、ただ「生きている」だけで、なんとなく私を勇気づけてくれる存在です。私のような人間が、後進に道を示せるとしたら、それは、こうしたことなのかも知れません。
また、こうした独身中高年のニーズを汲み取ろうという社会的試みも、一部ではすでに始められているように思われます。id:phaさんのギークハウスプロジェクトのような、独身男女のシェアハウスなどは、そうした取り組みのひとつといえるのではないでしょうか。
成人の90%以上が結婚していた時代は終わり、生涯独身という人生も「普通」の生き方となる、そうした過渡期に私たちは立ち会っているのかもしれません。そしてそのロールモデルは、私たち独身中高年自身が、作っていくことになるのでしょう。