「結局女はDQN男が好き」や「結局男はバカなぶりっ子女が好き」が妬みとして処理されてしまうのは、それが本能だから

それを口にしたら… 戦争だろうがっ…!


この「おいブス」問題、言うまでもなく赤木智弘氏の「女性の人権を尊重したら、女性に優しくしたら、『草食男子』と見下されモテない」問題と(多分)同じ現象を女性側から述べているだけなのだが、


どうしてこの手の「おいブス男」がモテるのだろうか。


自分のように10年以上会社組織に身を置いてきた人間にとってはこの現象は別に不思議でもなんでもない。単純に、「おいブス男」の方が会社で出世しそうだからだ。では、人をブス呼ばわりするような、デリカシーのかけらもないような男がなぜ出世しそうなのか。


それは、彼が男性内カーストにおいて優位にいるから。


自分らが10年近く前はてなスクールカースト論をぐっちゃぐっちゃ議論してた時に、自分が考えていたはスクールカーストを決定づける要素は一体何か、という点。コミュニケーション能力、運動能力、勉強、そのどれもがスクールカーストを決定づける要素にはなりえなかった。結論からいうと、その人間がまとっている「オーラ」のようなものの優劣、という事になる。


この指摘はヤバイです。ヤバすぎます。それを口にしたら戦争です。スクールカーストとかこじらせ女子とか非モテ論とかフェミニズムとかメンズリブとか、男や女として「下」に扱われてしまう人間の生きづらさを扱う議論は世の中に溢れているわけですが、id:republic1963さんのこの指摘は、それらの土壌をすべて無に還してしまう破壊力を秘めています。


要するにこれって、「本能」の話なんです。男は男らしいほうが人間として魅力的で生きやすいし、女は女らしいほうが魅力的で生きやすい。そしてその魅力は異性に対してだけでなく、同性に対してまで通用してしまう。そんな世の中で、これら「男らしさ」「女らしさ」に心理的/能力的に乗れない層は、どうしても社会的に「下」に見られてしまうし、生きづらさを抱えることになってしまう。


スクールカーストとかこじらせ女子とか非モテ論とかフェミニズムとかメンズリブっていうのは、そのどうしようもない生きづらさに対し、弱者の側から「理性」で対抗しようとする試みなわけですが、これはやっぱり弱いわけですよ。なぜなら、そういうことを語っている論者自身が、「男としての魅力」「女としての魅力」のヒエラルキーに、あがらい切れていないから。というか、人間が人間として生きる以上、「本能」であるこのヒエラルキーにあがらい切れるわけがないのです。

だから、いくら「結局女はDQN男が好き」や「結局男はバカなぶりっ子女が好き」と、倫理/道徳の側面から異性を批判したとしても、それは「負け犬の妬み」として「それが嫌なら努力しろ」という説教の対象として処理されてしまう。


どんなにキレイごとを並べても、恋愛の本質は、男が女を、女が男を、互いに値踏みし合う地獄の修羅場であり、非常に理不尽な市場です。個人的に、このような場では価値が低いとされてしまった人間に怨嗟が募るのは当然だし、それはいろいろな意味でよろしくないと思うのですが*1、世の中的にそれが問題とみなされることは少ない。童貞はバカにされ、ブスは罵られ、この「市場」で勝ち抜き、勝者の側に回ることこそが、人間としての成熟であるという風潮が作り上げられていく。

なぜなら、世の中はこの「市場」で勝ち残った人間の権力によって作り上げられており、強者にとって「市場」は非常に都合のいいシステムだからです。結局のところ世の中の本質は弱肉強食であり、強者は常に勝ち続け、弱者は常に敗け続ける。そして「市場」こそは、その本質をさらに加速するシステムなのです。

*1:治安の悪化、人生の難易度の上昇、社会的抑圧によるメンタル面の負荷など。