「すべてはモテるためである」の二村氏は、『優しい』

この本が立っている場所は既に、私が15年前に通過した場所だッッッ!


「この本が立っている場所は既に、私が15年前に通過した場所だッッッ!」


ネットで書籍で、数多の恋愛論を執筆するカリスマ、AV監督二村ヒトシ氏の代表作への率直な感想は、こんな不遜なものでした。

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)


これは、この本の内容が陳腐だということではありません。いま、現在進行形でモテないことに悩んでいる方向けの書籍として、本書はとても、素晴らしい。

以前少し書きましたが、私はまったくモテない青春時代を送り、それに対するコンプレックスが異常なほど強かったため、いまから15年ほど前の20代前半の時期、モテるために様々な努力をしました。

あれから15年。

ある部分は努力により改善し、ある部分は諦めつつ現実と折り合いをつけ、いくつかの交際を経て恋愛の酸いも甘いもそれなりに経験したいまの私は、当時ほどコンプレックスに悩まされることはなくなりました。いい歳して独身ですし、彼女もいませんし、もの凄くモテているわけでもありませんが、自分で満足できる程度には異性とも同性とも交流がありますし、これ以上モテたいとは思わなくなりました。

私にとってこの本が「懐かしく」感じられるのは、この15年の間に私が歳をとり、成長したからです*1。「モテ」の重要性が、私の中で下がったからです。モテようと必死になっていた当時の私が読んでいたら、この本は私にとってのバイブルとなっていたことでしょう。


二村氏が非モテだからこその、非モテに対する『優しさ』

文庫版加筆で明らかにされるのですが、この本を執筆した98年当時、二村氏は実は非モテだったらしく*2、自分がモテるためにはどうすればいいかを考え、実践するために本書を書いたそうです。ここで二村氏は、「自分がキモチワルくないことを、他人に認めて欲しかった」と、当時のモテへの動機を語っています*3

これは、15年前の私も同じでした。

彼女どころか、同性の友人とのコミュニケーションすら満足にこなすことができない自分の不甲斐なさ。20歳をもう幾歳も超えているというのに未だ童貞であり、女性と付き合ったこともないという、同世代への焦燥感、劣等感。

そんな自分自身のキモチワルさを克服したい、そのために、自分がキモチワルくないことを誰かに認めて欲しい。15年前の私はそう渇望していましたし、非モテに悩む方のほとんどは、多かれ少なかれ同じ想いを共有していると思います。


二村氏自身が非モテであっため、こうした非モテの気持ちを理解しているからでしょうか。「あなたがモテないのは、あなたがキモいからです」などと、非モテの神経を強烈に逆撫でする表現が使用されているにも関わらず、この本からは、(ネットの恋愛論によくあるような)上から目線で非モテや童貞を「教育」「説教」し、馬鹿にし、笑い者にし、マウンティングをとろうとする傲慢さはまったく感じられません。「非モテがこう言われたらこう感じるだろう」という部分まで非常に丁寧にフォローし、二村氏が考える対策が示されています。


この本は、「すべてはモテるためである」という挑発的なタイトルとは裏腹に、タイトルから想像されるような「モテるためなら自分を捨ててなんでもやれ!」という類の内容ではありません。むしろ、モテることよりも「自分の居場所」を持つことが大切であるとし、「自分の居場所」を持っているオタクは、たとえモテなかったとしても「オタクではないモテない人間」よりも生きやすいと、オタク的生き方を推奨するようなことも書かれています。

ただ、ここでいうオタクとは、「心から自分が好きなことを理解しており、全力でそれを楽しんでいるオタク」であり、「逃げとしてオタクをやっている人間」に対しては、結構、ケチョンケチョンです。これは、この本の大きなテーマのひとつに、「自分の頭で考えよう」というものがあり*4、自らの強い意志でそうしているのなら、それで自分が心から満足しているのなら、世間的にはどうであれ、どんなことでもそれは素晴らしいことだ、という思想があるからです*5


この本で二村氏が言っていることは、モテるための技術というよりは、人生哲学です。それは、「自分が本当に欲していること、本当に好きなことは何か?」という問いであり、それが「モテること」なのだとしたら、全力でそれをやりなさい。もし他に「本当に欲していること、本当に好きなこと」があるのであれば、たとえモテないとしても、それに全力を尽くせばよい。

「すべてはモテるためである」

恋愛至上主義の権化のようなタイトルが付けられたこの本から私が受け取ったのは、恋愛至上主義とはまるで正反対の、そんなメッセージなのでした。

*1:すべてとはいいませんが、この本に書いてあることのある程度の部分を理解/実践し、達成できる程度には。

*2:童貞だったのか、「彼女とか普通にできるけど、モテモテというほどでもない」程度だったのか、どの程度の「非モテ」だったのかは分かりませんが。

*3:「キモチワルさ」は、この本のひとつの大きなテーマです。

*4:と書くと、「ちきりんかよ!」と、突っ込まざるを得ないのが不本意ですが…

*5:べつにオタク礼賛というわけでもなく、「心から自分が好きなことを理解しており、全力でそれを楽しんでいるオタク」であったとしても、相手も同じようにそれが好きだとは限らないのだから、(モテたければ)一方的に「エラソー」になってはいけない、まず相手と同じ土俵に乗らなければいけない、などということも書かれており、もっともなことだと思います。