「人を好きになることは、モテることよりも難しい」を証明してみた

「モテること=他人を変えること」?

前回の記事で私、「人を好きになることは、モテることよりも難しい」って書いたんですが、自分で言っててなにか引っかかるモノがありまして。

一般論として、「他人を変えることはできないが、自分を変えることはできる」って話、あるじゃないですか。私もその通りだと思うんですが、あれ?でもこの理屈でいくと「モテること=他人を変えること」「人を好きになること=自分を変えること」なんだから、モテることのほうが難しそうじゃね?と、そんなことを考えてしまったわけです。


でも、少し考えてわかりました。モテっていうのは、「他人を変えること」ではなく、「自分を変えることで、間接的に他人の心を変えること」なんですよね。


恋愛感情は、他人の魅力に反応して沸き起こる感情です。トリガーが自分ではなく他人なんだから、自分の恋愛感情を操作するためには、他人に変わってもらわないといけないわけです*1

結果だけ一見すると、「モテること=他人を変えること」「人を好きになること=自分を変えること」なんですが、実は逆なんですよね。自分が変わることで他人の恋愛感情を操作してモテることは可能でも、他人を変えて自分の恋愛感情を操作することはできない。

以上、「人を好きになることは、モテることよりも難しい」の証明終了。Q.E.D.


これをもう少し一般化すると、「他人を変えることはできないが、自分を変えることはできる」っていうのは、あくまで「行動」についての話であり、「心」についてはむしろ逆で、自分の心を動かすためには周囲に変わってもらうしかない、変えるしかない、という話になるんじゃないでしょうか*2


しかしこの話を突き詰めていくと、「私がお前を好きになれないのはどう考えてもお前の魅力が足りないのが悪い!」というだれも幸せになれなそうな話になってしまい、全世界70億の人類を男女で二分した最終戦争に突入させかねない恐ろしい破壊力を持った危険思想なので、この話は私の胸の中にそっとしまっておこうと思ったのでした。

*1:夫婦間の恋愛感情が冷めた婦人が、亭主改造計画と称して夫のファッションを変えようとする、みたいな例が、わかりやすいでしょうか。

*2:この意味で、自分を置く場(環境)を変えるという「行動」の変化は、自分の「心」を間接的に操作するために有効と思われます。恋愛で言うなら、自分好みのタイプの異性がたくさんいそうな場所に出向く、とか。