根拠のない自信も、根拠のない卑屈も世の中には存在しない ~ 「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」書評 ~

自己評価は結果であって、気の持ちようではない

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コミュニケーション能力は技能や才能ではなくて、自分を出すか出さないかだよ!もっと自己評価高めて勇気を持って踏みだそう!というid:lovecallさんに対し、いやいや、自己評価が低いのは実際に自己評価が低まるようなトラウマ体験があったからで、勇気でどうにかできるものでもあるめいというid:suVeneさん。

私はid:suVeneさんと同じ考えでして、自己評価ってのは結果なんだから、本人の気の持ちようでなんとかなる話ではない、と思っています。根拠なき自信も、根拠なき卑屈も世の中には存在しないのです。自信満々な人には自信満々になるだけの、卑屈な人には卑屈になるだけの、成功体験や失敗体験があり、それがその人の自己評価という結果になる。

たまに、ノー根拠で自信満々な人もいますが、そういう人はこれまでの人生で自己評価を折られるようなひどい挫折が少なく、「なにをやっても俺は大丈夫」という、ベースとなる基本的な自己への信頼が高い人なのです*1


そんなことを考えながらおふたりのエントリを読んでいたのですが、最近たまたま読んでいた「なぜ、この人と話をすると楽になるのか 」という本に、このへん、もの凄く的確に書かれていたので、ちょっと引用してみます。




ニコニコ大百科に「コミュ障」の定義を記したものがあるんですが、これがたいへんよくできた解釈なので、適宜改編したものをちょっと読んでみます。まずその概要。「『コミュ障』とは『コミュニケーション障害』の略である。日本の国民病のひとつで、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛、あるいはとても苦手な人のこと」。うん、皮膚感覚としてとってもよくわかる。

その次がすばらしい。「コミュ障にできないのは、あくまで休み時間などにおける友人や知人との、どうでもいいけれどじつに楽しげな会話である」。そうです、多くの人は、職場や学校でどうしても必要な会話については、かろうじて可能であるという解釈です。


そのうえで、コミュ障の症状としては以下のような事例があるという報告。「人見知り報告。「人見知りで言葉が淀みがち、口下手で滑舌が悪い、話すこと自体に劣等感を抱きうまくしゃべれない」。わかります。「文章だと理解できるが会話になると途端にわからなくなり、パニックに陥ってしまう」。まさにそうですね。


さらにいきます。「必要以上に空気を読み、自分の発言がその場を悪くするのではないかと不安に思ってしまう。その結果として、人に嫌われるのでないかと考え言葉に詰まる」。ホント、そのとおり。先にも触れましたが、コミュニケーションに悩みを抱えている人というのは、基本的に人見知りで、自分がいることで相手に嫌な思いをさせたくないって気持ちが強いんです。


ここまで、コミュ障の定義。すごく具体的でわかりやすいですよね。でもね、その次にある処方、コミュ障の改善方法なんですが、ここになんて書いてあるか?「自分に対して、ちょっとだけ自信を持ってみる」。ここ、なんじゃそりゃー!って思いませんか(笑)


自信は「持て」って言われて持てるものじゃないでしょう。それができるんだったらいちいち悩まないですよね。



「自信を持て」って言われても


でもよく考えてみてください。自信を持つとはどういうことか? それって結果なんです。処方でもなんでもない。


コミュニケーションがうまくいった結果、自信が持てるようになるのはわかる。でもいきなり「自信を持て」では何も言ってないのと一緒です。そんなのただの精神論だし説教でしょう。もし「自信を持て」を正しく「うまくいくよう努力せよ」と言うなら、まだわかる気がする。でも「じゃあどうしたらいいの?」って疑問には答えられていません。そこはもう一歩、技術論として翻訳しないとイカンとぼくは思う


そう、〈タダで自信を持てれば苦労はない〉〈方法とか手段が抜け落ちてる〉〈自信は経験から身につくもの〉って、みんなそう思うでしょう! ここがね、問題なんです。結局、コミュ障を克服する、コミュニケーションがうまくなるって言ったときに、その技術を考えなければニッチもサッチもいかないんです。





引用ここまで。私も含むコミュ障みなさん、どうでしょうか?「よくぞ言ってくれた!」っていう感じじゃないでしょうか(笑)

精神論ではなく「技術論として翻訳しないとイカンとぼくは思う」と書かれているとおり、この本では精神論的なことを極力排除し、技術としてコミュニケーションを実践的に解説してくれます。


自分を出すのではなく、チームとしての「場」を考えろ!

この本では、コミュニケーションを以下のルールをもったゲームとして捉えます。

  1. 敵味方に分かれた「対戦型のゲームではない」、参加者全員による「協力プレー」
  2. ゲームの敵は「気まずさ」
  3. ゲームは「強制スタート」
  4. ゲームの勝利条件は「コミュニケーションをとったあとに元気が出ること」


このゲームを楽しくプレイするための様々な方法論や技術が本書の内容となるわけですが、ここで肝とされるのは「とにかく相手に気持ちよく話してもらうにはどうすればいいのか?」ということです。この本に登場する様々な技術群は、すべてこの1点を実現するために存在していると言っても過言ではない、それほどまでにこの「相手に気持ちよく話してもらう」ことが重要だと強調されます。

なぜ、「相手に気持ちよく話してもらう」ことが重要なのかというと、コミュニケーションがチームプレイゲームだからです。自分自身がトークやユーモアの達人でなくても、そうしたことが得意な人がその力を出せるようサポート役にまわることで、チームとしての「場」の雰囲気がよくなり、「気まずさ」という最悪の敵に敗れることがなくなり、「コミュニケーションをとったあとに元気が出る」という勝利条件を達成することができる、というわけです。


重要なのは、自分を出すことではなく、場の雰囲気を壊さないよう配慮すること。そのための技術を身につけること。


面白いのは、コミュニケーション技術書であるこの本の結論が、周囲への配慮 ―冒頭でべにじょさんが言うところの「サービス精神」― が最も重要だという、精神論を説くべにじょさんと同じ内容になっていることです。ただ、その配慮を実践するためには技術と理論が必要だ、という部分がべにじょさんと違うところで。

何も考えず、産まれながらの才能だけで自転車を乗りこなせる「天才」もたまにはいますが、多くの人間にとってコミュニケーションはそれほど自然にできるものではなく、精神論だけではなく練習が必要だ、というのが本書の主張なのですね。



この本を書かれた吉田尚記氏は、ニッポン放送の人気アナウンサーで、数々の賞を受賞している凄腕ラジオDJ。一見、コミュニケーションの達人のように思われる吉田氏ですが、昔はひどいコミュ障で、この仕事に就いてしまったゆえにコミュ障を克服する必要に迫られ、必死で試行錯誤しながら技術としてコミュニケーションを学んできたそうです。

そんな方だからこそ、こんなコミュニケーション本を買ってしまうような、我々コミュ障の気持ちがよくわかっている。「自信を持て」とか、そんな精神論で終わりにしたりしない。真のコミュ障の方にこそ自信を持ってオススメしたい、良質なコミュニケーション技術書です。



*1:逆に根拠なく卑屈な人は、これまでの人生で失敗や挫折ばかりを繰り返し、ベースとなる自己への信頼が低くなってしまっている。