『私は奥歯は自殺するかもしれないと思っていました。そして、私には止められないだろうと、思っていたんですよ』
↑のサイトで知り興味を持った、『八本脚の蝶』を読み終わった。著者である二階堂奥歯は、2001年6月-2003年4月までWEB上で日記を記し、その最後のページに遺書を残し、自死により25歳の若さでこの世を去った女性である。1977年産まれ。本業は国書刊行会および毎日新聞社の出版編集者。
「生きてきた日数よりも、読んできた本の冊数のほうが多い」という根っからの「本の虫」で、その読書経験から得られたのであろう年齢らしからぬ知性と思考、ときおり垣間見せる『乙女』でハイセンスな嗜好が評判を呼び、当時、未だ黎明期の空気を色濃く残していたネット界隈の一部方面で、カリスマ的な人気を誇る有名サイトだったようだ*1。
その日記は、このサイトからいまでも自由に読むことができ、書籍版ではWEB版の全内容にプラスして、彼女周辺の人間――日記にも登場する『雪雪さん』『哲くん』を始めとした――13人の寄稿文、さらには雑誌「幻想文学」に掲載された奥歯のブックレビュー7篇を読むことができる。
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- WEB版
一通り読み終わり、このような人が自殺することは、運命であり必然だったのだろう、と私は思った。こんなにも膨大な書物を読み世界の深淵を探り、こんなにも不器用に自らの心と正面から向き合い続けて、精神が保つハズがない。彼女は本を通して自らの心と向き合い続け、自らの心に殺されてしまった*2。もっと俗に、もっと要領よく、もっとあざとく計算高く。その才能を使うことを知っていれば、彼女は死ぬことも無かっただろう。そう、『普通の人間』のように。
しかしその真摯さと無垢さは、同時に彼女の魅力であり、才能だったのだろう。書籍に収録された寄稿文には、彼女の才能とその奔放なキャラクターへの賞賛と、それが喪われてしまったことへの無念の言葉が無数に並べられている。愛された人だったのだろう。それでも、彼女は自死を選んでしまった。このことに対する「運命」以外の呼び名を、私は知らない。「自殺するために産まれてきた」。そうした人間も、この世の中にはごく稀に存在するのだ。
先日、奥歯さんのお父さんとお会いした時、食事が終わり場所を替えるために、明るいエレベーターホールからほの暗いエレベーターに乗り込んで、ゆっくりと降りはじめた時、ふいに、ふつりあいなほど坦々と、このように言いました。
「私は奥歯は自殺するかもしれないと思っていました。そして、私には止められないだろうと、思っていたんですよ」
声音にあきらめの色は微塵もなく、ただ強烈な苦渋、抑制されつづけていた苦渋の残香がありました。これはあなたのような人を子に持った親の、最高の愛情表現ではなかったでしょうか。
(雪雪さんからの手紙 1996夏)
『読む者としてのあなたの限界が、書物としての私の限界である』
『八本脚の蝶』を読み物として味わったとき、私が感じたのは「結末を知っているノンフィクションミステリー」とでも言うような、奇妙な感覚だった。筆者が最後に現実で自死を選ぶことを、私はもう、知っている。それゆえに、日記でしばしば描写される奥歯の死への憧憬を読むたび、私は不安な気持ちに襲われた。これは、当時リアルタイムで読んでいた人間では味わえなかった感覚だろう。
特に、終盤1ヶ月ほどの希死念慮の描写。苦しみしか存在しない新しい朝が来ることの恐ろしさ。街中を歩いているとき、投身自殺に向いたビルをつい探してしまう感覚。実際にビルに忍び込み、最上階の手すりに腰掛け下を覗き込んだときの恐怖。その恐怖と、明日生きる辛さとどちらがマシなのだろうという絶望的な比較。
すべて私自身も数年前に味わった、身に覚えのある感覚だった。もし、あなたが鬱病を患った経験のある人間だったなら、これら描写を自分事のように身近に感じ取ることができるだろう(感じ取りたくないかも知れないが)。
また、奥歯のキャラクターは、私がかつて付き合っていた、とある女性とよく似ていた。その女性も「本の虫」で、毎日を辛そうにしながら生きていた。図書館へ一緒に行ったとき、持参した空のリュックサックに20冊も30冊も本を詰め込む彼女を見て、「そんなに借りても読めないっしょw」と笑う私に、「読むよ」と、平然と彼女は返答した。
ヴィヴィアンウエストウッドのワンピース、コムデギャルソンの香水、暑い夏の日の日傘…彼女と奥歯の共通点を見つける度に、私は奥歯に彼女の姿を投影し、彼女のことを思い返した。今となっては声を聴くことすら叶わない彼女だが、どうか元気で暮らしていて欲しいと願った。
奥歯が引用する書籍からの文章は、私の力量では文意が掴みきれないものが多かった。特に、更新が頻繁になった最後の1ヶ月で引用される文章を、希死念慮に囚われた奥歯が一体なにを想いながら引用したのか、私は懸命に読み取ろうとしたが、その意味は曖昧なままだった*3。「読む者としてのあなたの限界が、書物としての私の限界である」のだ。雪雪さんが言うように*4。
奥歯を読み取るにはあまりにも非力だった私だが、いくつかの引用文に興味を惹かれ、原書を数冊購入した。これらの本を奥歯が何を考えながら読んでいたのか、妄想しながら楽しみたいと思う。そのことが、「物語を護る者」となるため編集者になったという彼女への弔いに、多少なりとも繋がっていることを願いながら。
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