恋愛よりも結婚がしたいと、人生で初めて考えた

『例の彼女』に私がフラれたのは10年前の話だ。あれから10年、『例の彼女』の身代わりを私はずっと探し続けてきた。


『例の彼女』と同じくらい大きな情熱と恋愛感情を注ぎ込める女性。そんな女性は簡単には見つからなかった。稀に見つけたとしても、私の魅力不足から交際に至ることはできなかった。『例の彼女』はとてもモテる女性だったので、同等の魅力を持つ女性は皆とてもモテた。私は女性に対し、分不相応に肥えた舌を持つようになってしまっていた。


舌が肥えた私は、世の女性の大半を心から好きになることができなくなってしまっていた。「たいして好きでもないこと」を行うことが、私はとても苦手だ。仕事でも、趣味でも、人間関係でも。「たいして好きでもない女性」との恋愛において、私は彼女たちをぞんざいに扱った。必然そうした態度は彼女たちにも伝わり、関係が長く続くことはなかった。別れは必ず女性の側から告げられた*1


いつしか私は、女性との交際を半分諦めるようになった。『例の彼女』を忘れる程の大恋愛をできる女性。そんな女性とだけ付き合おう。もしそんな女性に出会えなければ交際できなければ、生涯独身を貫こう。


それは、ぞんざいな恋愛をし女性たちを傷つけてしまったことに対する私の反省でもあった。心から好きになった女性でなくては大切に扱えないのだ、私は。だから、本当に好きになった相手以外と恋愛をしてはいけないのだ、私は。

そうした想いから一回り以上も年下の女性にアプローチをかけ、醜態を晒したこともあった。お見合い結婚をした両親がいつも不仲だったことも、私を恋愛結婚にこだわらせた。



そうこうしているうちに、いつしか私は40歳を超え幾年もの歳月が過ぎていた。私にはもう、恋愛も結婚も無理かもしれない。それもまぁ、仕方がない。そう思っていたところに、コロナがやってきた。

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コロナで自粛生活を送るうちに私は、思っていたよりも自分が孤独に弱く、1人で生きる才能に乏しい人間であることを知った。昔からそうだったのか、いつの間にか私の感性が変容してしまったのかはわからない。なんにしろ、このまま生涯独身を貫くのは寂しい人生だ。


そう考えたとき、「結婚がしたい」と思った。
恋愛よりも結婚をしたいと、人生で初めて。


より正確に言うならば、結婚というよりも人生のパートナーが欲しい。男女関係なく人生を共に歩み、孤独を分け合い、苦楽を共にするようなパートナーが。そしてそうした相手を求めるのであれば、恋愛は必ずしも必要ないのではないか。


この10年、ずっと恋愛結婚にこだわり続けてきた恋愛至上主義者の私が、まさかこんな考えに至るとは思ってもみなかった。

もういい中年である私が果たしてそんな相手に巡り会えるのか。こんな事を考えていること自体が既におこがましいのかも知れないが、パートナー選びにおいて恋愛が占める比重を今後は下げていこう。そんなことを考えた。


*1:つまりは、「フラれた」。