小山田圭吾氏とJOCは、ネット民をあまりにも舐め腐りすぎていた

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↑の件、絶賛大炎上中だけれども私の中でいくつか思うところがあったので、今日から数回に分けてそれについて書いていこうと思う。


ネット民、舐められすぎ

まず最も強く感じたのはこのことだ。ネット民、舐められすぎ。

各所で指摘されているように小山田氏の蛮行はネット民の間では00年代から有名な話であり、私も05年ごろには知っていた。小山田氏本人が自らのネットでの悪評を知らなかったハズもなく、例えば↓のような証言が残されている。

(追記あり)小山田圭吾はなぜイジメ記事問題を無視し続けるのか

2001年頃、2chの音楽板など一部で批判を確認。

2005年に少しずつ記事内容が広まり燃え始める。コーネリアスファン掲示板が記事の内容で荒らされて閉鎖。http://www.whitewind.net/cornelius/

2006年に当該記事がブログで掲載され大きく拡散。2chで炎上する。

2012年にツイッターで当該記事を紹介したブログが拡散。炎上する。

2014年にツイッターで当該記事を紹介したブログが拡散。炎上する。

そして2021年、今回の大炎上である。

それでも小山田氏はこの悪評を無視し続けた。そこにはネット民がどんなに喚いたところでリアルの自分の評判にはなんら影響を及ぼさないという、ネット民への軽視があったのだろう。

事実、小山田氏のリアルでの評判に、ネット民の悪評はなんら影響を与えていなかった。だからこそ彼は渋谷系という枠を飛び越えNHKの『デザインあ』やオリパラ開幕式の楽曲担当という表舞台であそこまで昇りつめることが可能だったわけだ。ネット民の怒りの声は、リアルの小山田氏になんのダメージを与えることもできなかった…

…そう、今回のオリパラの瞬間までは。

この5年ほどで、インターネットは完全に「メディアの王様」となった。ネットは大衆のインフラとなり、今回の件で初めて小山田氏の悪行を知ったという方もたくさんいただろう。彼・彼女らが、一斉に怒りの声を上げた。これまでのネット民たちと同じように。それは、これまでのそよ風のような生温い批判とはまったく性質と規模の違う、超大型台風のような巨大なものだった。それが、小山田氏にとっての致命傷となった。


恐らく小山田氏は、このような仕事を受ければネット上で自分への批判が噴出することは織り込み済みだったハズだ。そしてその上で、今回もあっさり逃げ切れると踏んでいたのだろう。かつての炎上事例と同じように。

JOCが小山田氏のネットでの悪評を知りながら起用したのか、それともまったく知らずに起用したのか、それはわからない。しかしどちらにしろ、それはあまりにもネットを「舐め腐った」対応だった。前者であれば文字通りネット民の声をなんの影響力もないものと軽視し舐め切っているし、後者であればこれまたネットを舐め腐った、現代社会におけるネットの評判の重要性をまったく理解していない時代遅れの組織対応であったと言わざるを得ない。


小山田氏もJOCも、ネットとそこに生きる「住民」たちを完全に舐め腐っていたのである。そしてそのことが、特に小山田氏にとって今回致命傷となった。

10年前と異なり、ネットは今や社会を動かす巨大な力を持っている。ネットの影響力は「大衆」というキャズムを超えたのである。今回の小山田氏を巡る一連のできごとは、そのことがもの凄い勢いで可視化された、時代の変化を象徴する石碑的な事件だった。そしてこのネット民を舐め腐った時代遅れの感性は、小山田氏の件に限らない昨今のJOCや日本政府の行動すべてに通底した感性であるように私には感じられるのである(↓実例)。

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【追記】

小山田氏を除名したい向きの方は、↓のような署名も行われているようなので一筆入れてみてはいかがでしょうか。私も署名しました。
www.change.org



【おまけ1】小山田氏への私の今後の個人的接し方について

小山田圭吾が謝罪コメントを発表 過去に雑誌などでいじめを告白 - ライブドアニュース

予想以上に早くしっかりした謝罪文きた。私はもう批判やめる。長年ずっとダンマリで不誠実な保身続けてきたのが私の激おこポイントだったので。個人的な不買は続けるけどね。あと強いて言うならパラは辞退すべきかと

2021/07/16 19:14
b.hatena.ne.jp

↑のように私は書いたけれど、私は今後も小山田圭吾氏の関わったコンテンツは一切消費しないという不買運動を続けるし、氏はパラリンピックの楽曲担当を辞退するのが妥当だと思っている。

オリンピックはまだしも障害者の祭典であるパラリンピックの開会式で、当の障害者をあそこまでのレベルで加害した人間に曲を担当させることがあまりにも不適切な人選だということは論を待たない。

あのような本人が書いたのかすらわからないペラ紙1枚でお茶を濁さず、小山田氏は自らパラリンピック楽曲担当の座を即座に辞任するべきだし、そのような不適切な人事を行ったJOCもまたその不手際を猛省し小山田氏に除名を言い渡すべき。これが今回の件に関する多くの方の共通認識なのではないかと私は思っている。


【おまけ2】小山田圭吾氏の想い出

小山田氏の蛮行を知った05年当時、私はライブアルバム/ベストアルバムを含む全アルバムを所持している程度にはフリッパーズギターの音楽が好きだった。コーネリアスはあまり好みではなかったが『Fantasma』『69/96』はとりあえず所持していた。

作り手には興味がなかったので、音楽誌のインタビューを追うようなことはせず、ライブにも行ったことのない所謂「にわかファン」。だから私は「渋谷系」が90年代悪趣味カルチャーの系譜に連なる存在であり、雑誌インタビュー等でのその過激で「やんちゃな」発言でフリッパーズギターの2人が人気を博していることなどまったく知らなかった*1

そんな私にとって、楽曲から感じられるポップな印象からは想像もつかないネットで見知った小山田氏の蛮行は、あまりにも常軌を逸した醜悪なものと感じられた。あまりの下劣さに吐き気を催した私は、その夜フリッパーズギター並びにコーネリアスのCD盤をすべてフロントバックブリーカーで叩き割り、こいつの音楽には今後生涯1円たりともカネを落とさないことを決意した…

…というわけでもなく、翌日には普通に忘れていた。なんなら趣味でやっているDJの現場で彼のトラックをフロアに流しみんなで盛り上がったことすらある。私にとって小山田圭吾という人物は、それほどまでに「どうでもいい」人間だったからだ。


ただ、小山田氏が下種オブ下種の醜悪な人間であることはネットの悪評を読んでよくわかったし、そのことで彼を赦せない人間が世の中に存在し、批判されることも極めて当たり前のことと思われた。

謝罪文を読みこの件について私の中では多少の腹落ちがあったので、これ先いつまでも小山田氏を批判するつもりはない*2。しかし、批判を続ける人間の気持ちも当たり前のようにわかるし、私はそれを止めようとも思わない。私は好きにした。君らも好きにしろ。


(↓つづく)
ta-nishi.hatenablog.com

*1:数年後、後追いで知った。

*2:もうしばらくはするが。