テレビを楽しめない人間はヒトとしての重大な資質を欠いた欠陥人間であり、「テレビ観てない」発言は自慢ではなくそのことを自嘲した自虐発言であるという話

体調が悪いので、今日は軽い話題でも。

b.hatena.ne.jp

↑のブクマでも散見されるが、「テレビを観ていない」ことを「自慢」と受け取る方の存在が、昔からわからない。というか、不快である。

私は小学生の頃からテレビにほとんど興味が沸かず*1、これまでの人生のほぼすべてをテレビと無関係に歩んできたが、それでよい目を見たことが一度もない。むしろ苦労しっぱなしである。それなのに事実をありのままに伝えた「テレビを観ていない」という発言を「自慢」と受け取られてしまうのは、極めて心外だ。


私はいま40代中盤で、90年代のテレビ全盛期に思春期を過ごした。あの時代の中高生が「テレビを観ていない」ことは、学校生活においてとてつもなく巨大なハンデだった。とにかく致命的に周りと話が合わない。私は中高生時代ほとんど友達がいない「ぼっち」だったが、テレビを観ない人間だったことはこの「ぼっち」の原因のかなり大きなウェイトを占めていたと思う。

実際、あの時代に親の教育方針でテレビを禁止されていた子供が学校で話題に入れず友達を作れず、「頼むからテレビを観せてくれ!」と泣いて親に懇願したという体験談を、私は複数例見聞きしたことがある。そう、当時テレビとは子供たちの学校生活に絶対必要な「友達作成装置」だったのだ*2


上述したテレビ禁止親と異なり私の親はテレビに対して寛容だったが、にも関わらず私がまったくテレビを観ない人間だったことで、真逆の方向から私はよく親に𠮟られた。曰く「テレビを観ないと非常識な人間になるぞ!」

その通りだったと思う。特にインターネットが普及しておらず、テレビ=民意=世間と言っても過言ではなかった90年代当時、テレビを観ていない人間はそれだけで世間との接点がなにもない、世間ズレした人間になり下がってしまっていた。

私もべつに非常識な人間や友達がいない人間になりたいわけではなかったので、無理やりテレビを観る努力をしてみた時期もあったが、やはりどの番組も面白いと思うことができず、テレビ視聴の習慣は結局私には根付かなかった。


つまり私にとってテレビとは「教養」であり「無理をしてでも積極的に観るべきもの」だったのである。

それをできない自分は駄目な人間だと、私はずっと自分を卑下し続けてきた。「読書」と同じだ。読書を習慣化したいと願ってはいても、文字を読むことを苦痛と感じどうしても習慣化できないという方は多いだろう。「テレビ視聴」は私にとってそういう類の代物だった。

だが、「私はテレビを観ない」発言と異なり、「私は本を読まない」という発言を「読書しない自慢」と受け取る人間はいない。

これは「読書=善」「テレビ=悪」という大前提が、偏見が、受け手の側に存在するからに他ならない。そう、「テレビ観てない」発言を「自慢」と受け取ってしまう人間こそが、実は最もテレビをバカにし、見下している人間なのである。バカにしているからこそ「テレビ観てない」発言が「"上の行為"アピール=自慢」に見えてしまうのである。


私にはそんな前提は存在しない。「テレビを観れないこと」は「本を読めないこと」をはるかに上回る実害を伴った人間的欠陥だ。私はそれを自嘲しているのであり、断じて自慢しているわけではない。

テレビ観てない発言=自慢と受け取る勢各位には、今後このことを肝に銘じておいていただきたい。テレビを楽しめない人間はヒトとしての重大な資質を欠いた欠陥人間であり、「テレビ観てない」発言はそのことを自嘲した自虐発言なのである。


インターネットに救われた

90年代にテレビを一切観ないということは、芸能情報のみならずニュースすら視界に入ってこない事を意味していたので、「テレビを観ない人間=非常識な人間」の図式はそれなりに正しかったと思う。しかしインターネットが普及した現代社会では、ニュースは必ずしもテレビからしか得られないわけではない。

私自身ネットに触れるようになってからネットを通じて世間のニュースに頻繁に触れるようになり、「常識人」に多少なりとも近づくことができたように思う。現代社会においては必ずしも「テレビを観ない人間=非常識な人間」ということにはならないだろう。インターネット様々である。


ブコメにお返事

テレビを楽しめない人間はヒトとしての重大な資質に欠けた欠陥人間であり、「テレビ観てない」発言は自慢ではなくそのことを自嘲した自虐発言であるという話 - 自意識高い系男子

動画視聴が苦手ってことなのか、テレビ局の提供するコンテンツが苦手なのかで印象が結構変わると思った。 <a href="https://anond.hatelabo.jp/20210118163259" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://anond.hatelabo.jp/20210118163259</a>

2021/07/30 22:44
b.hatena.ne.jp
↑これは明確に「動画視聴が苦手」です。映画も家だと最後まで観るのが辛いので、だからこそ可能な限り映画館の無理やり最後まで観させられる環境で観ることにしているくらいなので。途中で興味が他に移って筋を追えなくなっちゃうんですよね。だからYouTube等もまったく観ていません。


【2021/7/31 PM.12:00 追記】テレビの権威に対する実感の世代差が根本原因か?

みなさんの反応を見ていて、あーこれもしかしてテレビの権威に対する実感の世代差なのかも知れないなと思いました。

ネット以前、ここに書いたようにテレビはメディアの王様で圧倒的な権威を誇っていましたから、「テレビ観てない」なんて発言は「バカの告白」に他ならなかった。それこそ「オレ、本とか全然読まないんだよね」という発言が「バカの告白」であるのと同じ話で。

でもネット普及以降、テレビは「情弱のメディア」「老害のメディア」等とネットを中心に盛んに囁かれるようになった。テレビの権威がそうして下がったことを所与のものと感じている世代にとって、テレビはデフォルトで"下等なメディア"なわけです。そんな下等なメディアを「観ていない」とわざわざ発言することは、なるほど「未だにテレビを観ている人間」に対する見下しであり、自慢であると普通に感じられることでしょう。

つまり「テレビ観てない」発言を自嘲と感じるか自慢と感じるかは、受け手側のテレビに対する権威評価に依存するわけです。テレビの権威を高く見積もっている人間は「自虐」と受け取るだろうし低く見積もっている人間は「自慢」と受け取る。そういうことなのではないでしょうか*3


ちなみに

先日コロナ発症し、現在療養中です*4。インターネットができる程度には元気なので死ぬことはないと思いますが、ツイッターの更新が止まるようなことがありましたら「そういうことなんだな」とご察しください。

ブログで書きたい話題も最近たくさんあるし、「Barたにし」も開店したいんですけど、誠に遺憾ながら当面休業です(喉が痛くてしゃべれないので…)。楽しみにしてくださっているみなさまには申し訳ありませんが、いましばらくお待ちください。

*1:バラエティ、ニュース、ドラマ、アニメ等、すべてのジャンルに興味が沸かなかった。

*2:いまの時代ではゲームやYouTubeがこれに相当するだろうか。

*3:ちなみにこの話、最近話題の90年悪趣味系カルチャーが、最初はカウンターカルチャーだったのに世代を追うごとにベタ化して当初の意味が変容していった流れに似ているなと個人的に感じました。

*4:なので今回の記事は推敲も適当です。悪しからず。