自意識高い系男子

「スクールカースト」という言葉の発祥者、たにしのブログ。経緯に関心ある方は → https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2025/06/29/163250

『親の葬式よりライブを選ぶ人間』と『それを非常識と罵る人間』は絶対にわかり合えないとネットは証明してしまったが、本来わかり合えない者同士が『ガマン』して構築してきた現代社会こそが欺瞞であり、ネットは人々をそこから解放した

絶対にわかり合えない種族たち

togetter.com
実親の葬式をキャンセルし嵐のラストライブを選んだ女性が炎上していた。私は親がかなりの毒親で趣味の世界に逃げ込むことでかろうじて生きながらえたタイプの人間なので、親と趣味どちらに感謝しているかと問われれば、即答で圧倒的に趣味と回答する。

度々このブログで書いているように、私はゲーセンやサブカルバーといった趣味のコミュニティに生かされている。これらがなければ私の人生などなんの彩も味気もない、生きるに値しないものとなっていた。それに比べて親とは元より疎遠で年に1度会うか会わないかという関係。もしも行きつけのゲーセンの閉店と親の葬式が被ったとしたら、迷いなく私はゲーセンの閉店に立ち会うことを選ぶだろう*1


親の死に目より趣味の死に目を優先することも、趣味の死に目より親の死に目を優先することも、その個人の感謝や価値観の優先度の問題だ。好きにすればいい。

ただ私が確信をもっていえるのは、このふたつの種族は絶対にわかり合えないということだ。

幸せな家庭で育ち親への感謝を心から感じ趣味はただの遊びで救われる必要すら持たない人間と、私のような毒親家庭で育ち趣味によりかろうじて生き延びてきた人間が歩み寄りできるわけがない。家族観/人生観がちがいすぎる。

彼らは私のことを決して理解できず理解したくもないだろうし、私も彼らを理解することなど絶対にできないししたくもない。本音で対話すればするほどに「絶対に生かしてはおけない悪」としての確信が互いに積み重なり、殺し合いに発展しかねないほどまで憎悪と嫌悪を深め合うだけの結果に終わるだろう*2


インターネットは「話せばわかる」という人々の幻想を完膚なきまでに破壊した。我々個々人はあまりにもちがいすぎ、話せば話すほど露わになる他者の「本性」に虫唾が走り、社会は憎悪に覆われる。インターネットはそのことを完全に証明してしまった。

いや、これまでの「話せばわかる」という幻想自体が、島国特有の逃げ場のなさから発生する日本の同調圧力を背景に、マジョリティがマイノリティを黙らせてきた結果だったのだろう。私たちは「わかり合ってきた」のではない。強者が弱者を一方的に「わからせてきた」のである。


インターネットを長いことやってきて、「話せば話すほどわかり合えなくなる」光景を私たちはあまりにも目にしすぎてしまった。だからいまの私は「議論」というものにもはやほとんど価値を感じていない。

「議論」が発生する時点でその人間は「わかり合えない人間」である。「関わり合いになるべきではない人間」である。「議論」する必要があるような人間をいかに遠ざけ、「議論」せずとも通じ合える「同類」コミュニティをいかに構築し所属するかが個人の人生にとって重要だ。

インターネットならそれができる。インターネットは議論の無力を証明したけれど、同時に同類コミュニティを容易に構築することを可能にした。それは本来わかり合えない者同士が無理やり「わかり合わされる」社会よりも、よほど健全で多様性に満ちた幸せな社会だと私は思う。


同調圧力に頼らなくては持続できない社会 = そもそも存続するべきではない社会

とはいえ同調圧力により「わからせる」ことがこれまでの社会を存続させてきたことは確かなのだろう。逃げ場がない環境だったからこそ、人々は「異なりすぎる他者」ともガマンして共生しなくてはならなかったし、それによりかろうじて社会は維持されてきた。現代の「社会」とは個人の犠牲の上に成り立ってきた血塗られたシステムなのである。

インターネットが行ったことはこの血塗れの社会からの、呪われた公的共同体からの、個人の解放だ。そこで個人は必ずしも公的共同体に所属しなくてよいし、「わかり合える人間」だけのユートピアを創り上げることもできる。人は一人では生きられない。しかしインターネットにより共に生きる相手を選択することはできる。

当然、既存の社会は衰退する。婚姻数減少や少子化といった家族の衰退は、まさしく人々が「わかり合おうとする」ことの不毛さと、「わかり合わされる」ことの暴力性に気付き、「ガマン」をやめた結果だろう*3

私はこのような「ガマン」なくしては持続不可能な社会というシステムがそもそも不健全な「悪」だったのだと思う。その不健全さが取り除かれた結果社会が衰退し滅びるというのであれば、衰退し滅びればいいだろう。

おまけ

私の家族がいかにクソであったかは、かつて↓などにまとめたので参照のこと。
ta-nishi.hatenablog.com
ta-nishi.hatenablog.com

*1:とはいえ私はそれなりに社会性のある人間なので、実際にはこんなことはしない。親の葬式の日程をズラしてもらえないか、まずは交渉する。理由は「仕事がどうしても外せなくて」。社会性とはこういうことだ。それでもズラせなければ「強行」するだろう。

*2:事実、今回の件でも親への感謝を「人間として当たり前のこと」「常識」と断言する想像力の欠如した連中に私は怒りと憎悪が収まらなかった。けれどもそれは私と対峙した連中も同じだったろう。

*3:ガマンするような相手と結婚してしまったら離婚すればいい。そもそもそんな相手とガマンして結婚するくらいなら結婚しないほうがいい。そんな価値観が現代社会では主流だろう。