自意識高い系男子

「スクールカースト」という言葉の発祥者、たにしのブログ。経緯に関心ある方は → https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2025/06/29/163250

長雨の夜、あのとき選ばなかった『たのピク』に想いを馳せる

news.yahoo.co.jp
雨、雨、雨。開けても暮れても雨、雨、雨。

東京は今日で35日連続の雨を観測し、観測史上最長記録を更新したという。こうも雨が続いては気分も沈み、物思いに耽りがちになってしまうのは人間の生理的習性だろう。私も例にもれず人生を振り返り、うじうじと考え込んでしまっている。


人生を振り返ったとき、そこで得たもの勝ち取ったものについて考えると誇らしく肯定的な気持ちになる一方で、喪ったもの得られなかったものについて考えるとみじめで憂鬱な気持ちになる。

得られなかったもの。私にとってその代表は、なんといっても家族だろう。
ta-nishi.hatenablog.com

30代前半、当時8年間付き合い結婚直前の状態にあった女性の「私と趣味、どっちが大事なの!?」という究極の2択への回答として、趣味を選んだあの瞬間から私の人生で数回目の再スタートが幕を開けた。

あれから15年。その選択で得られたものは多く深く多岐に渡り満足もしている。あのとき彼女を選んでいたら得られなかった仲間/経験/居場所。そうしたものは無数にある。これは私が得たもの勝ち取ったものであり、誇らしく肯定的な「前者」。


しかしその一方で、あのとき彼女を選んでいたら得られていたかもしれない「後者」に想いを馳せる、今日のような1日もある。

もしもあのとき彼女を選んでいたらどうなっていただろう?子宝に恵まれ愛する彼女たちと仲睦まじい家庭を築くことができていただろうか?それとも個人の自由をなによりも愛する私の性分から、結局は遅かれ早かれ「趣味」に走り関係破綻していただろうか?

「後者」のすべては妄想だ。そのような妄想に想いを馳せることは、益薄く非生産的で楽しいわけでもない。来年50歳を迎えようという私であればなおさらだ。若者と異なり「喪ったもの得られなかったもの」はすでに過去形となってしまった。未来で得られる希望がもはや存在しない以上、それらについて考えることは完全なる無駄でしかない。

人生の多くがすでに決定されてしまったおっさんには、これまで得たものをやりくりし生き延びていくしか残された道は存在しない。得られなかったものについてはどうにかして折り合いをつけ諦める技術が必要だ。


…であるにも関わらずこんな無駄を考えてしまうのは、すべて昨今Xを賑わす「たのピク」*1が悪い。あのとき私が選ばなかった女性は、まさしくたのピクが似合う純朴な女性だった。彼女のたのピクな部分が私は好きだった。たのピクは存在しなかった私の「もしも」を刺激し、無駄に憂鬱な気分にさせてくる。長雨同様、性質が悪い。


今夜はもう寝よう。明日は久しぶりに晴れるみたいですね。