執着を捨てるために必要なこと

ta-nishi.hatenablog.com

↑の件があって以来、結局『例のバー』には1度も行っていない。理由は3つ。

1. 『例のクズ』の顔を2度と見たくないこと。
2. 他のバーの仲間も私と今後も積極的に遊んでいきたいと特に思っていないらしいこと。

そして1と2から複合的に考えて

3. その程度の場所に戻るためにわざわざクズと和解する労力がバカバカしいこと。


いま、私は『例のバー』を「その程度の場所」と言ったが、こう言えるようになれたのは別の新しい店で、別の新しいコミュニティで、それなりに楽しくやっていけそうな算段がついたからだ。こう言えるようになるためにはそれ相応の時間がかかったし、それ相応の葛藤を乗り越える必要もあった。大丈夫、俺は生きていける。


結局のところあの日友人が私に言ったように、駄目になった人やコミュニティにいつまでも執着していても仕方がない、ということだ。それがどんなに自分にとって大切で、想い出深いモノであったとしても。

しかしそう思えるようになるためには、「いま」に満足する必要がある。「いま」にそれなりに満足しているからこそ、喪われたモノを諦めることができるし、どうでもいいと無関心にもなれる。


その意味で私は『例のバー』の代替品を手に入れることはできたが、『例の彼女』の代替品は未だ手に入れることができていないのだろう*1

そしてそれを手に入れるための算段は、未だまったくついていない。

*1:人間に対する「代替品」という表現に眉をしかめる向きもあるだろうが、この表現が一番しっくり来るし正確な形容と感じるのでこう言わせてもらう。