イーロン・マスクは『成功』によって、この世界の『邪悪』を自ら証明してしまった
成功するまでの彼はインセル・非モテ的であり、「弱者男性」的であり、フィクションにおいて現実の過酷さから逃れ自身を支えるという意味での「オタク」(適応の方法としてのオタク)であった。現在は「覇権的男性性」を体現しているように見えるが、心身に刻み込まれた傷により、彼は「従属的男性性」を維持したままなのである。彼が非常に強い躁鬱に悩まされていることは、この二つの性質を彼自身が行き来していることを示すのではないだろうか。
↑この記事で語られるイーロン・マスク像は、私的トラウマから世界を憎み滅ぼそうとする三流テンプレファンタジーの魔王そのものだと私には感じられた。それに倣うならイーロンが救われる道は「愛」に倒され自身は「悪」だったと証明される事だろう。世界は「愛」だったと証明されることだろう。
現在「覇権的男性性」を体現しているかのように見えるイーロンだが、本質的には「従属的男性性」「弱者男性性」を維持したままであると藤田氏は語る。私が思うにイーロンは、「覇権的男性」として振舞うことによって世界に復讐している。かつて「従属的男性」「弱者男性」であった「ありのままの自分」を否定し虐待した世界へと。
かつて私は恋愛工学*1にハマりナンパ師へ堕ちてゆく非モテ男性を評して↓のように書いた。
森岡先生の『正しい』言葉が、恋愛工学生に届かない理由 - 自意識高い系男子
恋愛工学で女性をモノに(『物』に!)する度に、彼らは女性の醜さを再確認する。「このようなゲスな手口に簡単に引っかかる女は、やはり男を見る目がない、醜悪な生き物なのだ!」と。この行動によって、彼らは自らの「女は醜い、男を見る目がない」というミソジニーに更に確信を深め、正当化させていく。
<中略>
彼らは恋愛工学によって、女性と恋愛をしようとしているのではない。女性の醜さを露悪的に暴き立て、自らのミソジニー的な価値観の正しさを再確認し、正当化し、復讐するために恋愛工学を利用しているのだ。
イーロン・マスクもこれと同じである。幼いころの虐待の記憶から、イーロンには「世界は悪意に満ちた恐ろしい場所だ」というトラウマが刻み込まれている。このトラウマに由来する恐怖から逃げ続けるために成功を求め続け、努力し続け、そして実際に経済的成功を手に入れたのが現在のイーロンなのだろう。
しかしその成功は彼に幸福をもたらさない。むしろその成功は「世界の醜さの証明」であると彼には感じられる。「弱者男性」のままでは自分は救われなかった。「覇権的男性」にならなくては世界はこの俺を認めなかった。「覇権的男性」はかつてイーロンを虐待した憎むべき「敵」である。その「敵」(=イーロン自身)を成功者として認めるこの世界とは、なんと邪悪で醜い場所なのか!*2
「成功」を喜ぶためには世界への肯定が必要だ。それを持たずに憎むべき世界へ適応したとしても、それは世界の邪悪さを再確認する行為に他ならず、決して幸せは訪れない。イーロンが救われる道は、断じて「経済的成功」などではなかった。「世界は邪悪ではない。世界は愛に満ちている」そう確信することだった。そう確信するに足るだけの証拠を積み重ね、心の底から実感することだった。
しかしイーロンは「成功」してしまった。そうして世界は「邪悪」であると証明されてしまった。
だからイーロンは倒されなければならない。かつての自身の化身である、「弱者男性」によって倒されなければならない。それこそがイーロンがこの世界を「愛に満ちた素晴らしい場所」と信じることが可能な唯一の方法だからだ。
記事で語られるイーロン・マスク像は、私的トラウマから世界を憎み滅ぼそうとする三流テンプレファンタジーの魔王そのものだと私には感じられた。それに倣うならイーロンが救われる道は「愛」に倒され自身は「悪」だったと証明される事だろう。世界は「愛」だったと証明されることだろう。
けれどもそんな刻は訪れない。愛を武器とし魔王を討伐する、弱者男性の化身としての勇者は未来永劫現れない。「弱者男性」が軽んじられ「覇権的男性」がすべてを持っていくことは、弱肉強食のこの世界の「真実」だからだ。イーロンの世界観は圧倒的に正しいからだ。
そんな邪悪な世界を作り上げてきたのは、私たちひとりひとりである。私たち全員である。そんな邪悪な私たちは、たとえイーロンに復讐されたとしても、誰ひとりとして反論する言葉など持たないだろう。
民主主義も大したことはありませんぞ。私をご覧下さることですな、元帥。私のような人間が権力を握って、他人に対する生殺与奪を欲しいままにする。これが民主主義の欠陥でなくて、何だと言うのですか。
ー ヨブ・トリューニヒト(銀河英雄伝説) ー