かつて自分に絶望する若者だった私から、いま自分に絶望しているあなたへ
若いころの私はなぜあんなにもルッキズムを過大評価していたのだろうと、50歳も間近に控える年齢になったいまよく思う。若いころの私には、見た目がいい人間が眩しくて、彼ら彼女らはすべてを持っているように感じられていた。
逆にいまの私はルッキズムを過小評価しているように思う。外見のよさなど社会的評価には1ミリも影響しないかのように、今の私には感じられる。
これは実感としてどちらもまちがいではなく、私が生きる社会を移動したということなのだと思う。若者がもつ武器の中で最も強いのは見てくれのよさ。だからそこばかりが見られ評価される。逆に大人はそこで若者と張り合っても勝負にならないから、もっと別の武器が求められ評価される。私は若者の社会から大人の社会で生きるようになった。
無論、大人の社会にも見てくれのよさを求められる社会はある。タレントや芸能人は言うに及ばず、弁護士や政治家などもその比率は高いかも知れない。恋愛のようにルッキズムの強いシーンもあるだろう。けれども若者と異なり大人は、生きる社会を選択することができる。若者という「職業」はルッキズムから逃れられない。
若者だったころ私が感じていた生きづらさは、要は若者という「職業」=社会に私があまりにも向いていなかったということがすべてだったのだと今にしてみれば思う。
若者社会にすら適応できないこんなダメな自分は大人になってもダメなままだと、若者だった当時の私は思っていた。生涯ダメなままだと絶望していた。けれどもそうではなかった。私は「若者として」ダメなだけで、ダメではない部分を他にちゃんと持っていた。
だからいま、かつての私と同じように自分に絶望している若者は、今いる場所がすべてだと思わないでほしい。大人になれば、人は生きる場所を選択することができるようになる。その中にはあなたが呼吸しやすい居場所も、きっと存在するだろう。きっと、辿り着けるだろう。