他人から言われて仕方なしにする謝罪なんて意味がない
責任を問われても決して謝らない「謝ったら死ぬ病」にかかっている人を叩く向きも分かるのだけど、一方で謝った人を決して許さず徹底的に追い詰める人も沢山いて、素直に謝るのは多くの場合何の得にもならないんだよね。「謝ったら死ぬ病」の背景には「謝る人を殺す病」の存在も影響していると思う。
— terrakei (@terrakei07) February 23, 2016
このツイートを見て、↓を思い出しました。
今回、小池一夫氏が謝罪したことに「見事な炎上回避」「素直に謝れるのは立派」とブクマで絶賛の声が集まっていますが、私は強い気持ち悪さを感じました。小池氏にではなく、ブクマで絶賛しているはてなブックマーカーのみなさんのほうに、です。
私は、謝罪なんてものは他人から言われて仕方なしにしても、まったく意味がないと考えています。もちろん、自らに非があったと納得したのであれば素直に謝罪するべきですが、たとえ世の中の圧倒的多数から批判されたとしても、自分に落ち度がないと思うのであれば、謝罪などする必要はない。炎上したからそれを鎮火するために心にも思ってもいない謝罪を口にする「処世術」としての謝罪など、むしろ不誠実だとすらいえるでしょう*1。
他人から少々叩かれたからといって、簡単に自らの主張を撤回し謝罪するような人間は、自らの発言に対する覚悟も責任も足りないし、自分の軸も持っていない、信用が置けない人間だと個人的には思います。
今回、小池氏が本心から自分の誤りを認めて謝罪したのか、自らのパブリックイメージの低下を恐れて火消しのために謝罪したのかはわかりません。しかしどちらにしろ、今回のこの謝罪を立派だと圧倒的に絶賛する風潮は、非常に気持ちが悪い。
小池氏の発言は、確かに視点によっては問題を含んだものではありましたが、ひとつの意見として理解はできるものだったと私は思っています。今回、謝罪によって小池氏を「許した」人たちは、自らの考えを正義と信じ込み、異なる考えをもつ人間は「悪」で矯正するのが正しいと考えており、「敵」を自らの思想に同化・屈服させた勝利の美酒に酔いしれているという印象を私は受けました。
「謝ったら死ぬ病」も大概だけれど、自らの正義を信じ込み、自分が間違っていると感じる異質な意見を持つ人間に対し「謝らないと死ぬまで絶対に許さない病」にかかっている人も相当にアレだと思います。そんなん「異教徒狩り」そのものじゃないですか。
正義や道徳的正しさで相手を殴る時に生じる一種の快感って、麻薬と同種なんだよね。比喩で言ってるのではなく。誰かが社会的正義のもと罰せられる様子を見て「ざまあみろw」と感じるとき、脳の腹側線条体ってところが活性化するんだけど、この部位は薬物濫用者の快感依存性にも深く関わっている。
— terrakei (@terrakei07) February 22, 2016
*1:芸能人や政治家がよくやっていますが、本当に不誠実です。