独身の才能
↑小山(狂)氏のnote記事を切っ掛けに、Twitter男女論界隈*1で『45歳独身狂う説』が再燃していた。説の元ネタは界隈のnote売りポンデベッキオ氏。小山(狂)氏の今回の記事は、ベッキオ氏の「狂う」という主張への反証という形になっている。
私は46歳独身おじさん当事者なので、この説を額面どおり真に受けるなら既に「狂ってる」という事になる。しかし前回の記事で書いたとおり私は独身ではあるが自分の人生に満足しており、幸せで充実した人生と自負しているので、この説については無駄に若者の不安を煽る事実に沿わない悪質な流言と考えている。noteを売るための不安煽り商法だろう。
ブログ婚活、失敗しました - 自意識高い系男子
世の中には「結婚しない人生は今がよくても将来は悲惨だ」と不安を煽る言説をまき散らす方も多いですが、私の見るところ別にそんなことはありません。独身でも楽しく充実した人生を謳歌している方は、男女関係なくたくさんいる。類は友を呼ぶのか私の周りにはそんな幸せそうな独身者であふれている。そんな彼・彼女たちのあいだには、↓のような共通点があるように思われます。
- 孤独が苦にならない
- お金をそれなりに持っている
- 友人がたくさんいる
- ライフワークといえるくらい充実した趣味や活動がある
- 行きつけのバー等、所属コミュニティを持っている
- 世間の目をあまり気にしない
しかしまぁ私が45歳独身を平然と受け入れれているのは↑に書いたような「孤独が苦にならない」「世間の目が気にならない」「お金をそれなりに持っている」「友人がたくさんいる」といった個人的資質の賜物で、万人が私と同じように生きれるわけではないだろう。独身を謳歌するにもある種の才能がいる。
そんな事を考えながら「私は45歳超えの独身だけど幸せだ。私が狂ってるように見えるか?」とツイートしたところ、「幸せと狂気は別物。たにしさんは主観では幸せなのかも知れないけど私から見たらかなり狂ってる」とフォロワーさんからツッコミを頂戴してしまった。それ、誉め言葉ね*2。
45歳独身狂うとか言ってる人、自分の周りのリアル45歳独身者を見れば別に狂わない事くらいわかると思うんだよな。リアルの人間関係が薄いからわからないんだろうけど。
— たにし (@Tanishi_tw) 2024年6月1日
まぁそういう人は46歳リアル独身男性である私をサンプルとして見るといいよ。私が狂ってると思うのなら狂うし、思わんなら狂わん。
いきなりごめん、私の認識ではたにしさんかなり狂ってるから笑ってしまった😂
— 水瀬太陽 (@minasetaiyou) 2024年6月1日
狂う狂わないと、幸せかどうかって無関係で、あの歳であの状態が幸せだと言い切れるの1番狂ってる、までありそう。その他者評価なんていっさい気にしないのであればそもそも狂っとる😂
— 水瀬太陽 (@minasetaiyou) 2024年6月1日
自分で思ってたよりフォロワーさんから狂ってる扱いされてた。
『主観的幸せ vs 客観的狂気』 / 『自分軸 vs 他人軸』
なるほど確かに幸せと狂気はちがう。幸せは個人の主観だが狂気は客観である。主観的には幸せだが客観的にみて狂ってるという状態は普通にあり得る*3。私は個人の人生において主観的幸せに勝るものなどなにもないと考えているので、客観的に狂っていても本人が幸せならそれでいいんじゃねーかと思うのだが、そうではなく世間の評価がそのまま自己の幸せに直結してしまうタイプの方もいるだろう…というか、世間一般的にはたぶんそちらの方が多数派なのだろう*4。
世間の目という尺度から考えれば、既婚者が独身者より「上」とされているのは火を見るよりも明らかだ。「常識の外で生きていること」を「狂ってる」と定義するのであれば、45歳独身者はその時点で既にそれなりに「狂ってる」ということも可能だろう。"あの歳であの状態が幸せだと言い切れるの1番狂ってる"という水瀬太陽氏の↑ツイートはまさしくそういう話だ*5。
つまり『45歳独身狂う説』を真に受け不安を煽られてしまう方々は、自分軸よりも他人軸で人生を生きている方たちなのだ。そうした方たちからしてみたら他人から「狂ってる」という評価を下されてしまうことは、客観的にマイナスなだけではなく自己の主観的幸せにまで直結するなにより大変な一大事なのだろう。
自分軸 vs 他人軸。個人主義 vs 共同体主義。鏡映自己対象 vs 理想化自己対象。
他人軸で生きる人生というものはなかなか難儀な人生であることよなと個人的には感じるのだけれど、この国は昔から個人主義よりも共同体主義的で*6、それを反映した教育も協調性をなにより大切なものとして叩き込む場であるし、日本人が他人軸でしか人生を評価できない人間になりがちなのはある種当然の帰結だろう。そうした方々にとって世間の目というものは単なる客観に留まらない、不安定な自己の価値観の大黒柱とさえなり得る大切なものなのだろう。保守主義って、そういうことだったんだね。
このように考えていくと結婚した方が幸せになりやすい人間と、結婚しなくても別にいい人間の条件が見えてくる。世間の目が自己の幸せに直結する他人軸タイプの人間は結婚した方がよいだろうし、そんなもの気にならない唯我独尊自分軸タイプの人間は結婚を必要としないだろう。
『45歳独身狂う説』は真か偽か。それは結局のところ個人の資質による。ここまで読んで私は自分軸タイプだなと感じた人は結婚しなくてもきっと大丈夫だし、他人軸タイプだと感じた人は結婚した方が幸せになりやすいかも知れない。
しかしまぁこのように自己分析して意思により自分に合った人生を選び取るのを万人が要求されること自体が極めて近代的というか、個人主義的営みであることよなと思う。ひと昔前まで個人にそんな裁量は与えられておらず、良くも悪くも世間のいいなりとして一生を終えるしかなかった。それは不自由ではあったけれど、自己決定が苦手な他人軸の人間にとってはある種非常に楽な社会だったのだろうなと、そんなことを考えた。
45歳独身は狂うとか言ってる人は、他人軸から見たときの状態について「狂う」って言ってるんだよな。でも自分軸での幸不幸を問題にしている人にとって、そんなの関係ねぇとさか言いようがない。他人から見て不幸そうに見える。狂ってる。だからなんなん?って話 pic.twitter.com/kdjxrbencr
— たにし (@Tanishi_tw) 2024年6月1日
「45歳独身狂う」みたいな不安商法にやられちゃう人、要は自分軸がなくて幸せの定義が他人軸なんだよな。だから45歳独身という「常識はずれ」な状態に危機感を感じてしまう。
— たにし (@Tanishi_tw) 2024年6月1日
自分の幸せの定義まで他人任せ世間任せとは、なんて「狂った」人たちなんだろうと私などは感じてしまうけどね。
*1:なんかそういうキモい界隈があるんですよ。
*2:初カキコ…ども…とは (ハツカキコドモとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
*4:無論、私自身もそうした部分はゼロではない。
*5:もっとも50歳時未婚率が男性3割女性2割に達しようとしている現代社会で独身がどこまで「常識外れ」といえるかは微妙だが。