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↑ふたつの増田を読んで。
奢ってほしい女性には奢る、それが嫌いな女性には奢らない。
「人として接する」がわからない事がわからない
あえて説明するなら属性で見るな、差別するなっていう面と、性欲を全面に出すなの2つがある。
私も「人として接する」は↑のような話だとは思うが、より解像度を上げて正確にいうなら「個人として接しろ」という言い方になると思う。そして個人として接した場合、「属性で見るな」というそもそもの定義とは矛盾した事態がしばしば発生する。
たとえば異性に「女性ではなく人として接した」場合。「俺は男性だから女性に奢る」という行動はNGだ。これは人間を女性という属性として扱う最低なモノ扱い行為である。実際こうした考えから女性を「尊重」し、食事を奢らず結果フラれたという経験を持つ男性はそれなりに多く存在するだろう*1。
確かに「女性だからといって奢らない」という行動は、女性を人として扱った行動だ。「人として尊重している」と確かに言えるだろう。しかしこの行動にはかなりの確率で女性からの容赦ないマイナス査定が下される。なぜか。
それは相手を「人」という属性で扱ってしまっているからだ。「個人」ではなく「人」という大雑把な属性で、杓子定規に扱ってしまっているからダメなのだ。
「私を人ではなく女性として扱ってほしい」(=属性扱いして欲しい)という女性個人は非常に多い。このとき「人として扱え」というアドバイスはコンフリクトを起こしてしまう。いやそれおかしいじゃんと。属性扱いダメゼッタイじゃなかったのかよと。
しかしこれは「人として接しろ」という言い方が悪い。「人として接しろ」の真意は「個人として接しろ」なのだ。対象個人が属性扱いを望むのであれば、そちらのプライオリティの方が高いのだ。
女性扱いして欲しい個人は女性扱いする、それが嫌いな個人は女性扱いしない。奢ってほしい女性には奢る、それが嫌いな女性には奢らない。SM好きの女性にはムチ、メガネフェチにはメガネ。これが真に「相手を個人として尊重する」ことなのである。
実際世間を見渡してみても、モテている男性は女性を人扱いなどしていない。属性扱いしまくりだ。しかし女性個人の(時に隠された)願望には的確に応えているように見える。
「人」と「個人」はちがう。「人」は属性だが「個人」はこの世界でたったひとりの唯一性を持つ存在だ。「モテたければ人として接しろ」はアドバイスとしてまちがっている。正確には「モテたければ個人として接しろ」なのだ。
ここをはき違え「人として」女性と接した結果失敗してしまう非モテはいにしえから後を絶たない。このような悲劇を生み出さないためにも今後この言葉で非モテにアドバイスを送る諸氏には細心の注意を払っていただきたい。私はもう、女性を「人として」扱い無残に散っていく非モテたちの姿をこれ以上みたくはない。
『モテたければ人として接しろ』…そんな言葉は使う必要がねーんだ。『モテたければ個人として接しろ』なら使ってもいいッ!*2
【2024/6/4 AM.6:45 追記】それができれば苦労はしねぇ!
『モテたければ人として接しろ』というアドバイスはまちがい。正確には『個人として接しろ』b.hatena.ne.jpこれを読んで思うのは、(個人は千差万別なので)してほしいことを察する能力がない人は詰むし、そういう人は「マニュアルをくれよ」と叫ぶけど、そんなものはどこにもないっていう、悲しい現実だよね。
2024/06/04 01:41
↑これ、確かにそのとおりなんだよね。個人として接しろとはいっても、相手が個人的な真の願望欲望を開陳してくれているとは限らない。むしろそんなんよっぽど親しくなった相手にしか普通は開陳しないし、最悪個人本人すら自分の願望を理解できていないケースも多々ある。本音では男性に奢ってほしいのに、男女平等というタテマエの前でカッコつけて奢らなくていいよなんて言う女性だっている(本当に奢りが嫌いな女性だっている)。
こうした現実の前で「個人として接する」なんてのは言うは易しの典型で。要はエスパーになれと言っているに等しく、それができれば苦労はしねぇ!*3って話なのは本当にそう。
結局のところ初手では「女性」という大雑把な属性として最大公約数的に接したうえで、親しくなっていく中で少しずつ「個人」として接する領域を増やしていくというのが現実的なところだろう*4。そう考えると初手から「人として接しろ」「相手を属性として扱うな」というアドバイスは、ますます現実無視で的外れな罪深いものだと思う。
属性で見ることは避けられない
ある程度は仕方が無いと思うんだよね。ネットは当然の事、現実で対面しても人間が得られる情報なんて高が知れている。結局分からない部分が有るし、何か行動する時にはそこを補完する必要が出てしまう。
それに「属性で見る」事は悪い事ばかりでもない。例えば50代男性が20代の頂き女子に騙されそうになっても「20代女性が50代男性を好きになる訳が無い」という属性による偏見を持っていれば騙されずに済むかもしれない。
同じ様な理屈でロリコンが未成年の女性に手を出さずに済む事も考えられる。夜道で女性が男性を警戒出来るのも、属性による偏見の賜物だ。そんな時にいちいち「そのひと個人を見よう」「警戒するべきかどうかはその人個人を理解してからにしよう」としていたら間に合わない。属性で見る事は時には役に立つし、人を救ったりもしている。避けられない事だと思う。
例の増田は「女性を個の人間として見れてなくて「女性」という属性しか見てない」と言われていたけど、本当に「女性」という属性「しか」見てなかったのだろうか?と思う。本当は多分、多くの場合、人は「属性で見る」と「そのひと個人を見る」を何%と何%の割合で混ぜて行っているんじゃないかな?そして例の増田もそうだったのでは?
本当は何%かはそのひと個人として見ることもできる人なのでは?それを「「女性」という属性しか見てない」と言うのは、何というか、うまく言えないけれど、酷いんじゃないだろうか。その上で、例えば女性と親しくなりたいなら、「そのひと個人を見る」の%を上げていこう、というアドバイスならいいんじゃないかと私は思う。(ただ、「そのひと個人を見る」の%を上げ過ぎると、高齢男性に対する若い女性等、属性を見れば「好かれる可能性は低い」と判断できるケースで、「この人個人は違うかもしれない」と例外を想定してしまうケースを生んでしまう副作用があるので、安直に言うとまずい部分もある)
例の増田も、あなたも、他の多くの人も、「属性で見る」と「そのひと個人を見る」を何%と何%の割合で混ぜて行っている。改めて言うと増田に反応した人達も「属性で見る」と「そのひと個人を見る」を混ぜて行っているので、そこまで重大に酷い事をしていると言いたい訳ではないし、批判や非難をしている訳じゃない。ただ、「そのひと個人を見る」の%をもう少し上げてもいいんじゃないかな?という提案。
そして、女性だけじゃなく、例の増田のような男性も、属性で見る%を減らして、「そのひと個人を見る」の%を上げて接される様な世の中になったらいいな、と思う。
↑激しく同意。
*1:「本物の」フェミニズムは、旧来こうした主張をしていましたしね。
*2:「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!とは (ブッコロシタナラツカッテモイイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
*3:それができれば 苦労はしねェ!!!とは (ソレガデキレバクロウハシネェとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
*4:そして現実の恋愛もそうして行われているだろう。