収入で勾配つけるのが一番平等じゃね?
ネット上で定期的に炎上が繰り返される男女論の花形、奢り奢られ問題。私コレ、収入差に応じて勾配を付けるのが一番平等で一番いいと昔から思っていて。たとえば可処分所得700万と300万のカップルなら*1、収入差は7:3だから7:3で出し合えばいい。これは男女関係なく*2。
男性が奢るべきという価値観は、「男は仕事/女は家庭」という男性稼得規範が強かった一昔前の家父長制的価値観なんですね。稼げる仕事を男性が独占しており10:0で女性はカネを持っていなかったんだから、男性のカネに10:0で女性が頼らざるを得ないのは至極当たり前の話だった。
でも女性の社会進出が進み、男性より稼いでいる女性もまったく珍しくなくなった現代社会においては「男性の方がカネを持っている」という前提はもはや成立しない*3。であれば奢り奢られの根拠であった「稼いでいるから出す」の稼ぎ手の物差しを、「男女」から「個人」に置き換えるのが当たり前の話ではないでしょうか*4。
奢り奢られの本質は「稼いでいるから出す」という部分にあり、男女という属性にこだわるのは表層しか見ていない考え方です。稼いでいる人間が、稼いでいない人間にカネを出してやればいい。そこに男女という話を持ち出す必要はまったくない。
属性で語るな、本質で語れ。男女で語るな、個人で語れ。
男女平等に社会が近づけば近づくほど、「男女」で物事を区別する合理も道理もなくなってゆく。そうした分野では「男女」ではなく「個人」を軸に物事を区別した方がよい。これは奢り奢られに限らない、あらゆるジェンダー論に通ずる話だと思います。
あーそれと
www.j-cast.com
↑みたいなのは女性を売り物にしている商売女のポジショントークですからね。真に受けてはいけない。4℃やサイゼリヤと同じ話。
以下、個人的愚痴と余談
私は若いうちからこういう考え方でやってきたので、これまでの歴代彼女との関係にもこの考え方を適用して付き合ってきました。同じくらいの収入の女性とは5:5で割り勘にし、無職の女性と同棲していた時は生活費も含めて100%私が出していた。
男女関係や友人関係にカネの話を持ち込みたくないんですよね。カネが原因の貸し借りのようなモノを恋人や友人の間に発生させたくない。だから私は恋人や友人には奢るのも奢られるのも好きではありません。
…と、考えて40年ほど生きてきた私だったのですが、ところがある日、私が全奢りしないことに不満を持ち、それを理由に別れを突き付けてくる女性が現れた。収入差を考え交際時から7:3くらいで私が多めに出していたんだけど、それでも駄目だった。あれには驚きましたね。こういう女性、ホントにいるんだと。こうした存在はテレビや雑誌の煽り文句にのみ登場する空想上の生き物だと思っていましたから。
この事を増田で愚痴ったら、はてブでフルボッコにされたのには二重で驚愕しましたが↓。おまえらはてなー、リベラルが多いんじゃなかったのかよ。ふざけんなよ。