『時代』が差別をやめた理由ということは、差別が許される時代になったらまた差別しますってこと?時代が変わっても、差別された人間の痛みは変わらないのに

『時代』は関係ねえだろ?『時代』は!!おーーーーー

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170929-00000109-spnannex-entheadlines.yahoo.co.jp

↑の件。フジテレビの「時代の読めなさ」を批判する意見はネットでたくさん見かけたし、社長もそれを謝罪の理由にしているけれど、問題はそこじゃないだろ、と。

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善悪の基準は時代で変わっても、被害者の痛みは変わらない

時代によって、善悪の判定基準が変わるというのは、わかるんですよ。現代社会で最も罪が重い犯罪のひとつとされている「殺人」でさえ、ひとたび戦争が始まればいともあっさり許容されるようになる。戦場で最もたくさん人を殺した人間が、英雄として賞賛されるようにすらなる。社会の善悪の判断基準などというものは、時代によって180度反転してしまうことすらある、極めて脆弱なものなわけです。

善悪の判断基準は時代によって容易く変化する、とても脆く、移ろいやすいものですが、しかし反対に、時代が変わってもまったく変わらない、普遍的なものもあります。それは、人間の痛みです。

人が殺されるときの痛み。そして、遺された遺族の苦しみ。それは、戦時中だろうと平和な時代だろうと、まったく変わりません。「保毛尾田保毛男」の影響で差別を受け、嘲笑されたLGBTの方々が受けた痛みもまた、「保毛尾田保毛男」が許されていた30年前と、許されなくなった現代との間で、まったく変わらないものでしょう。


フジテレビの罪は、「時代を読めなかったこと」ではないんです。「視聴率という『利益』を『倫理』よりも優先し、異端者を嗤い者にして差別を助長する表現を電波に乗せる判断を下してしまったこと」なんです。

時代が変わってクレームが来るようになったから、スポンサーが離れるから、視聴率稼げないからやりません、謝罪します。その行動自体は差別被害者にとっても良い事であり、ありがたいことでしょう。でもそれじゃあ怒られなかったら、それで視聴率を稼げるなら、差別的表現を電波に乗せていいと思っているのか?(恐らく『いい』と思っているのでしょう)視聴率のために人を嗤い者にして偏見を撒き散らすことに、倫理的な面で問題があると思ってはいないのか?(恐らく思ってはいないのでしょう)

もし問題はないと思っているのなら、「時代」が差別許容の方向に傾いた途端、テレビはまた差別と偏見を垂れ流し始めますよ。「視聴者が望んでいるから」という、大層ご立派なお題目を免罪符として掲げながら。でも、テレビに苦しめられた人間の痛みは、どんな時代であれ変わらない。普遍的な問題は、そこにあるわけです。


フジ社長 「保毛尾田保毛男」批判に陳謝「大変遺憾 謝罪をしないといけない」 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

謝罪は良いんだけど、視聴率のために異端者を嗤い物にして傷つける功罪に「時代」は関係ないでしょ。当時から不快に思ってた人は大勢いたけどネットでそれが可視化された。クレーム付けられなかったらやっていいと?

2017/09/29 17:46
b.hatena.ne.jp

問題の本質は、「倫理」よりも「利益」を優先するメディアの企業体質

たびたび書いているように、私は90年代はマスコミの偏向報道による「オタク差別」が酷かった時代だったと考えています*1。しかしここ10年ほどでオタクが一般化したことを受け、マスコミのオタクに対する姿勢は変化してきました。私は、現代のオタクが差別を受けているとは考えていません。

しかし、そのマスコミの変化の理由は、結局のところオタクが勢力を拡大し、社会の中に溶け込んで「異端」ではなくなったからでしょう。消費者として、社会の構成員として、オタクが無視できない「時代」になったから、「利益」のために、マスコミはオタクを差別することを止めたのです*2

私は、1人のオタクとしてこのマスコミの変化をとても良いこととして歓迎していますが、マスコミの変化の理由が結局のところこうした功利的なものであることに、割り切れない気持ちを感じていることも確かです。マスコミの変化が「利益」を理由にしたものである以上、オタクを嗤い者にすることが利益になる時代が再び訪れたとき、再度オタクが差別されるようになることは、火を見るよりも明らかだからです。


問題の本質は「時代」ではありません。倫理よりも利益を優先し、異端者を嗤い者にすることも厭わない、メディアの企業体質にあるのです。この体質が変化しない限り、LGBTやオタクのような「メディア差別の被害者」は、形を変えながらマスコミにより次から次へと産み出され続けていくことでしょう。そしてそのとき、決まって彼等はこう言うのです。「空気を読め。俺たちは時代の、視聴者の、マジョリティの要請に従っているだけだ」と。



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saavedra.hatenablog.com
ta-nishi.hatenablog.com

*1:『オタクvsサブカルは、ありまぁす!』と、オタクサブカル老害エリート文化人のみなさまに言ってやりたい - 自意識高い系男子

*2:オタクたちは「社会運動」で差別に対抗するのではなく、オタク文化で育ち、オタク文化が「普通」という感覚を持った世代を社会に大量に送り込むことで、差別を克服してしまいました。これは、もの凄いことだと思います。