「書くことがなくなった」のであれば、書かなければよい

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「書くことがなくなった」ことが「悩み」になるという感覚が、よくわからない。書くことがなくなったのであれば書かなければいいし、書きたいことが出てきたならまた書けばいい。私にとって書くということは、ブログというものは、そういう営みだ。

実際ここ数年、私もまた書くことがなくなり、2019年以降のブログ更新回数は年10回にも満たない状況が続いていた。最近また書きたいことが出てきてブログが楽しくなってきた。だから今日もこうして記事を書いている。


なにものにも縛られず自由に文章を書きたいのである。書くという行為に妙な責任やしがらみを持ち込みたくないのである。

ありがたいことに私のような末端ブロガーにも商業原稿のお誘いが舞い込んできたことがこれまで何回かあるが、あまり乗り気になれずすべてお断りしてきたのもそうした理由による。友人主催の同人誌やメルマガ作成に参加したこともありそれはそれで楽しかったが、締め切りを設けられ文章を「捻り出す」作業はやはり私の性には合わないと感じた。

テーマを決められ、締め切りを定められ、編集者のチェックを受け、お金をいただき責任を持って文章を書く。そうした営為を否定するつもりはない。そうした行為から産まれてくるものも、確かにあるのだろう。ただ、私の性には合わないというだけの話だ。


そして「なにものにも縛られず自由に文章を書く」ことにおいて、ブログほど適した媒体はない。

ブログには締め切りがない。テーマがない。読者や編集者への責任も義理もない。お金ももらえない。地位にも名誉にもならない。社会的影響力も書籍に比べれば微々たるものだ。

その代わり、ブログには自由がある。なにを書いてもよい。どう書いてもよい。書くことがなくなったのであれば書かなければよい。書きたいことが出てきたのであればまた書けばよい。そういう自由がある。

すべては筆者個人の自由だ。ブログとは自由である。ブログ最良の側面はここにあると、私は思う。