インドア文化圏で、サブカルがオタクを藁人形に使い出したのが「オタクVSサブカル」だったんだと思ってる

ネットでは定期的に盛り上がりが観測されるオタクVSサブカル話がまた火を噴いているので、軽く便乗。

オタクVSサブカルって、90年代に最盛期を迎え、00年代に入った辺りから徐々に衰退。いまではほとんど機能していない対立軸だと思っていて。

そもそも「おたく」という言葉*1、1983年に「漫画ブリッコ」誌上で中森明夫氏が、インドア趣味の中から(いまでいう)オタク系文化を「ダサくてキモくてイケてない趣味/連中」として、インドア文化から切断処理、露骨に言えば差別するために発明された言葉だったんですね。

で、その反対側の「ハイセンスでオサレでイケてるインドア趣味」として定義されたのが、いわゆるサブカル文化でして。

つまりオタクVSサブカルっていうのは、サブカルがインドア文化圏で「キモいあいつらと違って俺達はハイセンス」というマウントをとるために、オタクを藁人形に使い出したのがキッカケだったんですよ。リンク元のTogatterでも出てくる、宮沢章夫氏の「東京大学『80年代地下文化論』講義」などを読むと、当時のサブカルのオタクに対する差別意識が全開で、結構、うんざりした気持ちになれます。

そして90年代。1989年の宮崎勤事件をキッカケに、世間はオタク差別全盛の暗黒時代となり、オタクVSサブカルは頂点を迎えます。それまでの優越感競争に加え「俺はマンガ好きだけどサブカル系だからオタクじゃないよ!」という免罪符や自意識の隠れ蓑としても、サブカルが利用されるようになるわけです*2

しかしその後00年代、ネットの普及によるオタク文化が市民権を得ていくに従いオタク差別は徐々になりを潜めていき、オタクが藁人形として使いにくくなっていきます。個人的に振り返ってハッキリ風向きが変わったなと感じるのは、05年~06年、「電車男」がドラマ化され、秋葉原の町並みが再開発で変貌しはじめた頃からでしょうか。

「サブカル」がマウントをとるために「オタク」という生贄を必要とした

ここまでの流れをまとめると、

  1. 80年代にインドア趣味文化圏で、オタク系文化を切断処理し差別するためにサブカルが「オタク」という概念を発明した。
  2. 90年代、オタク差別の高まりにより、オタクではないという免罪符を手に入れるためにサブカルの需要が高まり、オタクVSサブカルは全盛期を迎えた。
  3. 00年代、オタク差別が薄まっていく中で、オタクが藁人形として使いづらくなっていき、オタクVSサブカルは事実上ほとんど対立として機能しなくなり、現在に至る。


というのが、私の歴史認識です。オタクVSサブカルっていうのは、インドア文化圏内でサブカルが「イケてる俺ら」としてのアイデンティティと優越感を得るためにダサい奴ら(オタク)を定義するという、権力闘争だったんですね。

だから、オタクが差別対象として使いにくくなってくれば、オタクとサブカルの境界線も薄まっていき、対立も意味を成さなくなる。たぶん、90年代産まれ以降の人間から見ると、「オタクVSサブカル」とか言われても「???」っていう感じなんじゃないでしょうか。

そんな歴史認識を持っている自分としては、



という意見は、「それって逆じゃね?」と思ってしまいますね。オタクが自虐するためにサブカルを必要としたのではなく、サブカルが自らの優位性とアイデンティティを確認/確保するために、オタクという生贄を必要としたのではないか、と。

サブカル側の人間である中森明夫から「おたく」という言葉が発明され、00年代以降、オタクが「ダサいもの」ではなくなるに従いサブカルが衰退していったことも併せて考えると、後者の考えが実情に沿っているように思います。


以上、90年代にどっちかというとオタク文化に近い場所で青春を送った、現30第中盤のひとりのおっさんの歴史観を書いてみました。ここらへん、世代や立場によって見え方がいろいろ違うと思うんで、みなさんそれぞれの立場で率直な私見を書いてみると面白いんじゃないでしょうか。

*1:当時はひらがなだった

*2:もちろん、もっと単純な『根っからのサブカル好き』という人種も居るわけですが。