あのころ、僕達には「好きなものは好き」と言う自由すら存在せず、『隠れオタク』を余儀なくされていた。これが差別でなくてなんなん?

かつてのオタク差別はそれはもう酷いものだったが、現在はほぼ消滅した

山本弘のSF秘密基地BLOG:オタク差別は消滅しつつある

↑の記事に、ほぼ同意見。

80年代に端を発した、「人間をネアカ/ネクラに"人種分け"し、ネクラ側の人間は好きなだけ馬鹿にしてもよい」というネクラ差別と、その延長としてのオタク差別。これが最もひどかった全盛期が、80年代中盤~00年代中盤までの、約20年間。その後、差別は緩やかになっていき、現在はほぼ消滅した。これが、この件に対する私の認識です*1

私がこう考える根拠のひとつに、90年代のオタクの常識であった「隠れオタク」や、00年代初頭に盛り上がった「脱オタ」ムーブメントが、現在ではほぼ死語と化しつつある、という状況があります。


隠れオタク』『脱オタ』の時代

隠れオタク」は、オタクであることが周囲にバレると迫害を受けるため、アニメやマンガが好きであることを周囲にひた隠しにしながらオタクを続けること。歴史の授業に出てくる「隠れキリシタン」と、ほぼ同じ意味合いです。

脱オタ」は、オタクである為に受ける迫害から逃れるため、オシャレに興味を持ったり、サッカーやバンド活動を始める等、「リア充」や「一般人」に近いモノに、趣味やライフスタイル、時にはマインドまでを意識的に矯正することです*2


脱オタ」は、00年代初頭にインターネットの一部界隈でブームになり、「脱オタクファッションガイド」「いちからはじめるファッション入門マニュアル(閉鎖)*3」など、当時としては相当な規模である数100万アクセスを稼ぎ出すサイトが、複数存在していました。

当時私は、これらサイトを熱心に訪れていた「脱オタ者」であり、はてな村精神科医として現在も活躍を続けるシロクマ先生(id:p_shirokuma )もこの界隈の出身者で、この時代の少し後、シロクマ先生自身も脱オタを主題として扱うサイトを開設しています。

汎用適応技術研究[index]

↑のサイトは、「脱オタ」や「オタク差別」を巡る当時の状況の空気を物語る今となっては数少ないサイトとして、非常に資料価値の高いものになっています。膨大なテキスト量を誇るサイトですが、この問題に興味のある方は、気になった箇所だけでも、ご一読することをオススメします。


【参考】
↓シロクマ先生による、1998年~2005年までに存在した、一部「脱オタサイト」のレビュー
脱オタサイト・オタク研究サイトレビュー集(汎適所属)


隠れオタク」「脱オタ」の背景

00年代初頭、これら「脱オタサイト」が盛り上がった背景には、90年代にひどいオタク差別を受けてきたオタク達が、差別から自衛する必要に迫られていたという、切羽詰まった事情がありました。

脱オタサイトには、テキストサイトの文脈を継承した自虐ネタ系サイトもありましたが*4、当時最大手だった先述の2サイトは、住民同士による掲示板での脱オタ情報の交換がメインとなっており、そこに漂う悲壮感は、本当に洒落にならない壮絶なものがありました。

あの空気の壮絶さは、当時、あの界隈にいた人間でないと理解し難い部分が多いとは思うのですが、当時は「脱オタ」が、多くのオタク達にとって、それ程までに切実なものだったのです。

自己のアイデンティティの一部とすら言える程に大切なオタク趣味を、捨てるという決断をせざるを得ない。そこまで追い詰められていたオタク達が、あの時期、あの場所に集まっていた。これは偶然ではなく、90年代のオタク差別全盛期に思春期を送ったオタク達が初めてインターネットという場に触れ、その苦しみを発信する手段を得たという、時代の必然性があったのでしょう。


脱オタ」までいくほど切羽詰まっていないケースでも、90年代~00年代中頃までのオタクは、「隠れオタク」であることが常識でした。これも、オタク差別の存在の証左でしょう。迫害が存在していたからこそ、隠れなければならなかったのです。

「隠れさえしていれば、迫害されないのに」とは、外部からだけでなく、当のオタク内部からすらも、しばしば聞かれる意見です。しかし、「隠れなければならない、好きな事を好きと言うことすら許されない」という状況があることそのものが、差別でなくてなんなのでしょうか?*5


90年代、「好きなものは好きと言える気持ち、抱きしめてたい」と流行歌が唄う中*6、好きなものを好きと言うことさえ許されていなかった、当時のオタク達の苦しみ!当時私は、あの歌を聴くたびに、「なにを言っていやがる。マジョリティ様は気楽でいいよな」と思っていました*7

あの時代、なぜオタク達は「好き」を世間にひた隠しにし、隠れなくてはならなかったのか。私は今でも、その事実に納得がいっていません。あの時代の気持ちを、私は生涯、忘れることはないでしょう。


オタク文化で育った人間たちが、社会の中核を担う年代になったとき、オタクは「普通」になった

00年代後半以降、「隠れオタク」も「脱オタ」も、オタクの一般化に伴いあまり聞かれない言葉となっていきましたが、これは当然です。もはやオタク差別は存在せず、オタクには「隠れる」理由も「脱する」理由も無くなり、自分はオタクであると堂々と名乗ることが許される時代になったのですから。

いまの時代の10代~20代の若いオタク達に、「隠れオタク」「脱オタ」という言葉を聞かせても、おそらく、ピンと来ないでしょう。「なんでオタクを辞めたり、隠れたりする必要があるの?」と。


この時代の変化には、オタク差別全盛時代を過ごした人間として本当に驚いていますが、要は「オタク文化で育った人間たちが、社会の中心を担う年代になった」ということが、一番大きいのだと私は考えています。


90年代、オタクは差別される存在でしたが、そのコンテンツはオタクだけではなく、リア充や一般人に至るまで、幅広く消費されていました。大人になってから友人となった、90年代を10代のリア充として過ごしていたという人物と話していると、「俺もアニメやマンガ大好きだったけど、学校で言うと『ランク』が下がるから、絶対に話題にしないようにしていたよw」という話を聞くことが、とても多い*8。あの時代、差別を受けながらも、オタク文化はその内容の面白さ・素晴らしさから、世間の中に着実に浸透していっていたのです。

そうして、彼ら彼女らが大人になり、社会の中核を担うようになったとき。オタク文化は、「普通のもの」になりました。テレビ・出版・広告等、かつては決して使用されることの無かったような場で「萌えキャラ」が使われることも普通になり、オタクへの忌避感、嫌悪感は、かつてとは比べ物にならないくらい小さくなりました。


これは、クールジャパン的な国の施策や、商売人によるオタク達の購買力の利用といった影響もゼロではないのでしょうが、一番大きいのは「オタク文化で育った人間が、社会の中核を担うようになったこと」でしょう。オタク達は、社会運動ではなく、自分たちの文化で育った人間を大量に社会へと送り込むことで、差別を克服してしまったのです!

これは、オタクコンテンツの素晴らしさを裏付ける事実であるだけでなく、差別克服のモデルケースとしても、研究の価値のある事例なのではないか。「固有文化」が必要なので、どんな被差別属性にも使える手段ではないけれど、参考にするべきところは多いんじゃないかと、大袈裟でなく私はこれ、結構本気で考えています*9


ta-nishi.hatenablog.com

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脱オタクファッションガイド 改

脱オタクファッションガイド 改


*1:1989年の『宮崎勤事件』は大きな契機ではありましたが、あの事件があそこまで大きな影響力を持ったのは、『ネクラ差別』の空気がすでに世間に醸成されていたからです。

*2:オタク趣味を完全に捨てるか捨てないかは人によりますが、大抵の場合、少なくともオタク活動の縮小は余儀なくされます。

*3:後継サイトは存在しますが、当時とはまったく空気感の違うサイトなので、別物と考えています。

*4:コムサ・デ・ナード(閉鎖)」等。

*5:『差別』という言葉がお気に召さなければ、『迫害』や『弾圧』でも構いません。

*6:槇原敬之どんなときも

*7:今にして思えばマッキー自身がゲイなので、マッキーもまたマイノリティ故に「好きなことを好き」と言うこと、言えることの価値や大切さを、尚更強く実感していたということなのかも知れません。

*8:これもまた、あの時代にオタク差別が確かに存在していたことを裏付ける証言のひとつでしょう。

*9:詳しくないので憶測ですが、たとえば『ヒップホップが黒人差別緩和に役立った』という事例も存在するのではないでしょうか。