優しい街

優しい街

『Ta-nishi』というはてなIDは、私の中に溜まったネガティブな毒を吐き出す場所として使っているので、はてなの私しか知らない人間の眼には、私はとてつもなくネガティブな人間として映っているかもしれないけれど。実際にはそうでもなく、客観的に見ればむしろ「リア充」寄りの趣味人というのが実際のところだと思う。


ブラック企業が社会問題として取り沙汰される昨今、幸いにも私は、土日休みでそれほど忙しくなく、収入もそこそこある仕事に就いている。

豊穣な自分の時間は、酒場や趣味のコミュニティで遊ぶことに費やし、私は現在、8つほどのコミュニティに顔を出している。それぞれのコミュニティの友人たちと遊ぶ時間はとても楽しく、週末の遊びの計画を立てているだけで、1ヶ月以上先のスケジュールまですべて埋まってしまう多忙っぷり。アラフォー独身彼女なしという身でありながら、寂しさを感じずに毎日を楽しく過ごせているのは、彼・彼女たちのおかげである。よき友人たちに恵まれて、私は幸せ者だ。


東京という街は、独身者に優しい。


新宿の飲み屋街を練り歩けば、アラサーアラフォーのバツイチや独身貴族、趣味人、20代の若者、サブカルねーちゃんなど、様々なタイプの、様々な年代の独身者が集まってくる。

似たような境遇の彼・彼女たちと、趣味の話、異性の話、仕事の話、人生の話、下ネタなど、実にくだらない話をしていると、この世の人間の90%以上は独身者で、既婚者など存在していないのではないか。既婚者は一体どこに生息しているのかという気分になり、自分は独りではないのだという安心感を得ることができる。仲良くなった常連たちと、BBQ、麻雀、花火などに出かけた日など、一生こうして過ごす人生も悪くない。心から、そんな気持ちになる。


「若者」のまま時計の針が止まっている

普段は東京でアラフォー独身の気ままな人生を謳歌している私だが、そんな私の天敵が、「帰省」である。私には7人の兄弟、従兄弟がいるが*1、私以外はみな結婚しており、子供もいる。お盆、正月、法事など、親族が集まる機会になると、彼らは嫁と子供を連れ、田舎の実家に集まってくる。


子供たちは2歳~小学校低学年くらいの年齢で、みな、とてつもなく可愛い。この年代の子供たちは、動物のように暴れまわるし、お互いすぐに仲良くなるので、実家はさながら遊園地のような賑やかさだ。

そんな中、子どもたちをあやし、時には叱り、一緒に遊んでやる兄弟たちは、「大人」であり「親」だと感じる。悔しいが、立派だ。それに比べて私は、普段接する機会のない子供たちの扱いもわからず、右往左往するばかり。8人兄弟の中で、私は一番歳上であるにも関わらず、私の人生だけがいまだ「若者」のまま、時計の針が止まってしまっている。正直なところ、居場所がない。恥ずかしく、劣等感を感じ、いたたまれない。この場からいますぐに、逃げ出したくなる。


30歳のころ、私にも8年間付き合い結婚直前までいった、心から愛する女性がいた。もしもあのとき結婚していたら。こんな情けない気持ちを味わうこともなく、いまごろ私の子供もあの子供たちの輪の中で、共に遊び、笑っていたのだろうか。私も「親」として、大人の立ち振舞いがサマになっていたのだろうか。そんな失われた世界を想像し、やるせない後悔から眠れなくなってしまったりもする。


私は恋愛結婚派で、恋愛感情を感じられない相手と無理をして結婚するつもりはなく、そうした相手と巡りあわなければ生涯独身でも仕方がないと考えているが、こうした夜だけは、誰でもいいから結婚したいという気持ちがよぎってしまう。

もしも私が田舎の親戚の近くで暮らしており、従兄弟たちが親として成長していく様を眼の当たりにし、こんな劣等感や圧力をいつも感じ続ける環境に身を置いていたら。頑迷な恋愛結婚派の私ですら、藁にもすがる思いで誰でもいいから相手を選ばず結婚してしまっていたかもしれない。それが、よいことなのか悪いことなのかはわからないが。


ta-nishi.hatenablog.com

*1:全員、男である。