お前がモテても幸せになれないのは、どう考えてもお前が相手を愛していないのが悪い(Skype読書会感想)

Skype読書会に参加しました

id:bulldraさん主催のSkype読書会、「すべてはモテるためである」に参加しました。前回のエントリは、このための布石だったんですね。

id:bulldraさんとは、このブログを始める前からの飲み仲間ということもあり、かなり突っ込んだ男子会的トークができて楽しかったですが、突っ込みすぎて普段のおっさんゲス会と同じようなノリになってしまい、女性参加者もいた中、やや暴走しすぎたかも知れません…

我々男性にとって女子会が未踏の聖地であるように、女性にとっても男子会は未知との遭遇。参加女性各位には、珍しいモノ見たわー、男ホント馬鹿だわーなどと思っていただけていれば、これ幸いです。


好きでもない相手からモテても意味がない

今回、この読書会で個人的に考えがまとまったのが、「モテたからといって、それだけで幸せになれるわけではない」という話です*1

前回書いたように、若かりしころ非モテ時代の私は、そりゃあもうモテたかったわけですが、ある程度モテ、女性を落とす方法がわかり、恋愛が特別なものではなくなったとき、「ただモテても幸せになれるわけではない」ということに気付いてしまったのです。


「モテたい」といっても、たいして好きでもない女性、魅力を感じない女性からモテても、別に嬉しくない。むしろ苦痛ですらある。

いや、好きでもない相手からのモテにも、「女がホレる価値のある俺」「ハンターとしての、オスとしての俺」の承認欲求が瞬間的に激しく満たされる快感はあるのです。でもそれは、「落とした瞬間」だけの話であって、そこから始まる「恋愛関係」の話ではないのです。


恋愛には、相互に承認欲求を満たし合う「義務」が発生する、感情労働システムとしての側面があるじゃないですか。毎日「愛している」と言う、相手が喜びそうなデートプランを企画する、記念日にプレゼントを買う、たまには旅行に連れて行く、セックスをする。こうした「義務」をお互いが満足いくレベルで果たしていかないと、恋愛関係を維持することは難しい。

しかし、愛していない相手に対してこうした「労力」を支払うこと。これは幸せとは程遠い、むしろ苦痛な行為です。好きでもない相手に「愛してるよ」と心にもない嘘を吐き続け、こいつと遊んでもぜんぜん面白くないと感じながらデートプランや旅行を企画し、金がもったいないと思いながら食事を奢りプレゼントを買い、仕事で疲れた身体を引きずりながら義務的にセックスをする。これは、地獄です。


こうした恋愛に付帯する義務を「義務」と感じず楽しんで行い、幸せを感じるためには、相手を愛していることが必要不可欠です。「こいつのためなら頑張れる」「こいつの喜びが俺の喜び」こう感じるほどに相手を愛してこそ、恋愛に付帯する様々な義務は、はじめて幸せに結びつく。「ATMになるのは嫌だ」ではなく、「こいつのためならATMになっても構わない」そう思えるような相手と恋愛しなさい。理想論をいえば、そういう話です。

恋愛と結婚が別物であるように、モテと恋愛も別物なのです。恋愛は、面倒くさい。その面倒くささを「面倒くささ」と感じないためには、相手を愛している必要がある。

この意味で、恋愛初心者にありがちな「恋に恋している」状態は、有利です。たとえ相手を愛していなくても、恋愛という行為そのものを楽しむことができるので、恋愛の義務を苦痛と感じないからです。


人を好きになることは、モテることよりも難しい

ここまで書いてきたようなことを考えていくと、恋愛で幸せになるためには、相思相愛以外の道はないという、至極当然な結論に行き当たります。しかしこのためには、「好きになった相手から」「モテる」という二重の関門をクリアしなければならないわけで、恋愛で幸せになるということは、世間で言われているほどには簡単なことではないのです。


特に「好きになる」ことは、難しい。「モテる」については、まだ技術的になんとかする余地があります。モテ本をはじめ、モテるための情報も世間にはたくさん出回っています。

しかし、女性を「好きになる」は、自分でもコントロール不能な、心の動きの領域の話です。「好きになる」とは、なろうとしてなれるものではなく、そうなる相手には自然にそうなるし、ならない相手には絶対になれない、そういう性質のものなのです。


若く経験が少なかった非モテ時代、女性を好きになることについて、私は悩みませんでした。経験が少ないぶん、女性に対するファンタジーを信じ込める余地が大きかったからでしょうか。私は世界の女性の大半を、自然と好きになっていたような気がします。

しかしアラフォーとなったいま、私は女性に対してそうした感情が起こることはほとんどなくなり、どのように女性を好きになっていたのか、いつの間にやらすっかり忘れてしまっていました。

感性が衰えたから?性欲が衰えたから?人生経験を積み、スレてしまったから?

本当の理由はわかりませんが、おっさんとなった私は、「モテないこと」よりも「女性を好きになれないこと」に悩まされるという、若かりし日には想像もしなかった悩みに直面することになりました。まぁ、好きになれる女性がいないのであれば、無理に恋愛をする必要もないのですが。


【余談】「モテたいが恋愛したいわけではない」ナンパ師タイプの男性

これまで書いてきたように、

  • 【モテ】: 義務なし、楽しむために愛は必要ない
  • 【恋愛】: 義務あり、楽しむためには相手を愛している必要がある

というのが、モテと恋愛の違いです。


この考えでいくと、恋愛を心理ゲームとして捉え、一夜限りの関係を繰り返すナンパ師タイプの男性は、モテの快感には興味があるが、恋愛の面倒くささは御免こうむりたい。そう考えるタイプの男性であるということがいえると思います。

そのうえ彼等はその後の恋愛のことを考えず、女性を「落とす」ことが最終目標なので、どんな嘘も付き放題だし、その場限りのお世辞も平気で言えるし、相手を愛す必要もない。つまり、チートで自分の魅力を底上げして闘っているんですね。


恋愛がしたいのではなく、モテによって自分の男としての価値を確認し、承認欲求を満たすために女性を使い捨てしようとするこの手の男性は、結構、多いです。で、女性のほうもこういう男性に、ついつい引っかかってしまう。一見、魅力的に見えるから(チートだけど)。

でも、こういう男性は恋愛で女性に労力をかけることはありません。落とした時点で男性の目標は達成されており、その後の恋愛は、ただただ面倒くさいだけだから。釣った魚に餌はいらんとばかりに、ポイ捨てされて終わりです。

だから女性には、不幸にならないためにも「この男は本当に私を愛しているのか?」を見抜く眼を鍛えて欲しいと切に願うのですが、この手の話は女性向け恋愛相談では何億回何兆回と議論され続けている定番ネタであり、それでも答えが出ない難問なので、なかなか難しい話なのでしょうね。


他の参加者のみなさんのレポート

*1:私が勝手に考えをふくらませただけで、他の参加者個々人の方の意見とは、必ずしも関係するわけではありません。