「おやすみプンプン」を全巻一気読みしたら胸がえぐられて死ぬかと思ったので、感想でも書いて落ち着くことにする

死ぬかと思った

今日は大雪で外出できなかったので、浅野いにおおやすみプンプン」を暇に任せて全巻一気読み直ししたのですが、1巻ずつ読んだときは感じられなかった、心を震わされる感動と絶望と憂鬱を味わい、ベッドの上で1日中悶え苦しんでいました。やっぱり、マンガを真に楽しむには、まとめ読みするに限ります。

あまりにも心を直にえぐられ、消化不良を起こしてしまったので、とっ散らかった感情を沈めて日常に復帰するために、感想をまとめてみました。以下、ネタバレしかしません。


自意識と決別して「大人」になっていく王道的成長物語

この作品のメインストーリーの肝は、なんといっても最終巻、田中愛子を失い人生に絶望したプンプンが、工場の屋上で"神様"に向かい「お前が死ね」と呟きながら、自身の左目にナイフを突き立て自殺を図るシーンに集約されるでしょう。

チンクルホイと唱えると、神様がやってくる。いつからだろう…それがただの自問自答だと気付いていたのは」

プンプン自ら11巻で語っていたように、"神様"="プンプンの自意識"です。そして左目に残された、田中愛子との逃避行の想い出の香りを残した傷。

10年以上に渡り、プンプンを縛り続けてきたと同時に生きる意味でもあった、"自意識""田中愛子"との決別。全てを失ったプンプンは、そのまま永遠の眠りにつこうとしますが、南城幸に「起きなよ」「これは私のわがままかも知れないけど」と、助け起こされます。

田中愛子と自意識に支配されていた少年時代のプンプンは、このとき死にました。しかし、プンプンには南城幸を始めとした、数は少ないけれど本当に親身になってくれる人々との絆が残されていました。左目の傷は消えないけれど、それでもプンプンは痛みを胸に、ひとりの「大人」として新たな人生を歩み始める…*1



純粋なまま、理想を追い求めることが許された少年時代。しかしその美しい純粋さは、現実との軋轢の中で葛藤を産み、前へ進む力を殺す「呪い」にもなり得ます。

「プンプンは、嘘つかないよね?」

「鹿児島へ連れて行く」という、初恋の相手、田中愛子との約束を守れなかった罪悪感に縛られ続け、無為な日々を過ごすばかりだった少年時代のプンプン。

死の直前、田中愛子が短冊に書き残した、「あなたがずっと私を 忘れませんように」という願い*2は、一歩間違えば少年時代と同じように、プンプンを縛り続ける「呪い」となっていたことでしょう。しかし大人になったプンプンは、約束の日の七夕、夢の中で再開した田中愛子に、こう言い切ります。

「ごめんね、僕は嘘つきだよ」

大人になるということは、「汚さ」と折り合いをつけていくということでもあるのでしょう。左目の傷はときどき疼くけれど、与えられた、あるいは自らの力で勝ち取った、新たな居場所と役割の中で、プンプンは前に進んでいく…



南条と「友人関係」であることの意味

以上がこの物語のメインストーリーなわけですが、個人的な希望をいえば、ある意味「よくある」少年の成長物語としてこの物語が終わってしまったのは、やや物足りなくもありました。もちろん、素晴らしい構成と描写力で、心の底から震えさせていただいたわけではあるのですが…



プンプンは、田中愛子のことを「想い出」として忘れていき、大人の人生を歩んでゆく。それが寂しさを含みつつも概ね肯定的なトーンで描かれましたが、そんなに簡単に割り切れるものなのか。あれほどのことがあった割には、少々軽薄すぎやしないか。現実には、もっとスッキリしない、ドロドロとした何かが残されてしまうのではないかと、個人的には思うところです*3

あのような壮絶な経験を経てしまったプンプンの前には、もはや田中愛子以上の熱量を持って愛することができる人間は、現れないでしょう。そんな誰も愛することのできないプンプンが、これから先幸せになれるのか?プンプンの傍らには南條幸がいますが、プンプンにとって、南城幸は交換可能な人間、田中愛子は、交換不可能な人間であるように感じられます。

交換不可能な、かけがえのない人間を永遠に失ってしまったプンプンが、今後どう生きていくのか…もしかすると、南條幸と恋人や夫婦ではなく「友人」という関係に留まっているのは、その答えなのかも知れません。

プンプンにとって、愛する人間は田中愛子だけ。それを失ってしまった以上、プンプンは生涯、田中愛子以上に愛する人間に出会うことはない。それでもプンプンは、自分に求められる役割(南城の娘の父親役など)を引き受けていく。それが「大人」になるということなのだ…

私は、このように解釈しました。



文章では伝えきれない、このもどかしさ

…と、今回メインストーリーの感想を書いてみましたが、この作品の魅力は、やっぱり実際に読まないと非常に伝えづらいんですよね…メインストーリー自体は「プンプンが様々な事件を通して若者特有の自意識や純粋さと決別し、苦さや汚さを含んだ大人へと成長していくビルドゥングスロマン」と言えばそうなんですけど、これだけではこの作品が持つ「奥行き」と「リアリティ」を10%も伝え切れていない感があります。細かいディティールやエピソードの積み重ねが、この作品の真骨頂なので。



上にも書きましたけど、メインストーリーはキレイゴト風にまとめられすぎていて、個人的には若干リアリティに欠ける感があります。そんな中、今回読み返して以前とだいぶ印象が変わったのが、プンプンママ、プンプンパパのエピソードでした。

夫婦ゲンカのとき「もっとたくさん遊びたかった!もっとたくさん買い物したかった!」と叫ぶような刹那的な性格で、若い欲望を消化し切れず、プンプンとはまた違った強い自意識に苦しめられ、精神的に子供のまま母親という立場を引き受けてしまったプンママ。

あまり深くモノを考えておらず、離婚者コミュニティで(どこまで本気なのか)「今が一番幸せ」と言いながら、他人の連れ子と満更でもない様子で生活しているプンパパとか、なんというか描写が少ないぶん、却って勝手な想像でリアリティを感じてしまうというか…*4



プンパパやプンママに共感するようになったのは、私が歳を取ったからなのでしょう。プンママの中年の孤独の叫び、
「もし死んじゃったらどうしよう、このまま生き続けられてもそれはそれでどうしよう」
「雨宿りするみたいに一時的な孤独や不安から逃げ回るだけがあたしの人生だとしたらなんて悲しい人生なんだろう」
なんて台詞、私のような孤独な独身中年にとっては本当に切実で、いちいち心臓に悪い。

「わかってんのよ!もう理屈じゃ幸せになんかなれないってことくらい!」

と自ら叫んだとおり、プンママは最後まで幸せを掴めずに死んでいく。プンプンのように成長して救われるとか、全然ない。中年の絶望は、長年の降り積もった「業」により、プンプンのような成長の可能性が完全に閉ざされていることにあるわけですが、プンママのエピソードはその救いの無さから、本当にリアリティを感じました。

気が向いたら、この辺りの感想も、もう少し掘り下げて書いてみたいところです。

*1:この作品のサイドストーリーとして描かれる、新興宗教団体による「世界の終末」の話は、「思春期の死とその後の人生」の暗喩なのでしょう。

*2:クソ泣ける。いま思い返すだけで、胸が締め付けられて悶え苦しんでしまう。

*3:これは、私自身が、過去の大失恋を長い間引きずっている身なので、そうした話を読みたいという願望が強いのですが。

*4:特にプンパパ、なんかうちの父親にそっくりなんですよね…