幸せな家庭を築くことが人生の目標だった。愛される父親になることが夢だった。

幸せな家庭を築くことが人生の目標だった。子供から愛される父親になることが夢だった

幸せな家庭を築くことが人生の目標だった。子供から愛される父親になることが夢だった。

私は若いころから社会的な「何者か」になりたいと願った記憶がほとんどないのだけれど、唯一なりたかった「何者か」が「子供から愛される父親」だった*1


私が育った家庭は夫婦仲が悪く、私は父のことが嫌いだったので、父のような人間にだけはなるまいと思いながら私は生きてきた。

父は母をまったく大切にせず、世間体ばかりを気にし、ほとんど家に帰ってこない人間だった。かといって仕事に生き甲斐を見出しているわけでもなく、毎日仕事を辞めたいと愚痴をこぼしながら、ただ流されるままに人生を送る意志薄弱な人間だった。少なくとも長男である私の眼に父はそう映っていたし、その印象は私が40代半ばを迎えたいまでもまったく変化していない*2


父と母の間には、ひとかけらの愛も存在していなかった。私の家庭がこのようなありさまになっているのは愛の欠如が原因なのだろうと私は考えた。だから私が築く家庭は絶対に愛に溢れた家庭にしたいと願った。私がおじいさんになり、妻がおばあさんになっても、愛を喪わない仲睦まじい夫婦。そしてそんな2人の愛の結晶である子供たち。絵に描いたような幸せな家庭。そんな家庭を築き上げることが、私の生涯において最も大きな目標であり、夢だった。


言うまでもなく、そのような家庭を築き上げることは難しい。経済的に恵まれた家庭を築き上げることよりよほど難しいかも知れない。付き合い始めた当初は愛にあふれていたふたりが、長い年月をかけこれ以上ないほど険悪になっていく例など枚挙にいとまがない。そんなことは、私にもわかっていた。

しかし私には、夢を叶えるアテがあった。20代のとき8年間付き合っていた女性*3。今でも私が心から愛している唯一の女性。私は彼女を心から愛していたし、彼女も私を心から愛しているという実感があった。彼女とであれば、私の夢のような家庭を実現できると本気で信じることができた。


だから、彼女と別れることになってしまった時には心の底から絶望した*4


焦った私は婚活などにも手を出してみたけれど、結局上手くいかなかった。私の女性と家庭への理想が高すぎたからだろう。「例の彼女」と同じほど愛せるような女性には、「例の彼女」と別れて以降だれ一人として出会えていないし、「例の彼女」のように愛せないのであれば、女性との恋愛にもその先にある結婚にも前向きになることはできなかった。

仮にそのような「愛せない女性」と付き合ったとしても、私は事あるごとに「例の彼女」と目の前の「愛せない女性」を比較し、目の前の女性を軽蔑するだろう。「例の彼女」の素晴らしさを再確認し、「例の彼女」がもう私の前にいないことへの悲しみが想起され、「例の彼女」との別れへの後悔に苛まれるだろう。

そのような交際は相手女性に対して無礼極まりない行為であるのみに留まらず、私自身にとっても苦痛なものでしかなかった。事実そのような誰も幸せにしない「交際」のはてにひどく傷つけ、陰惨な別れ方をしてしまった女性もいた。本当に申し訳なかったと思う。


35歳を過ぎたころから、私は幸せな家庭への夢を半分諦めるようになった。最早どれほど足掻いても「例の彼女」ほどに愛せる女性に巡り合うことはできないと思った。40代も半ばを迎え、子供をもつ可能性がゼロに近づき、私の男性的魅力も衰えたいま、この諦めはより完全なものとなった。

とはいえこの諦念は、私を楽にもした。私はもう生涯「幸せな家庭」を築くことはできない。「子供から愛される父親」にもなれない。いまからこの夢を実現させるためには、私は歳をとりすぎた。現実的な不可能性は、私に諦めの理由を与えてくれる。私は夢のために懸命に足掻いた。これ以上無理だというくらいの努力をした。しかしそれでも私は届かなかった。もう、それでいいじゃないか。心からそう思えるようになった。


私はもう、新しい女性を探すことを止めた。私は生涯「例の彼女」との想い出の世界を生きていく。

30代前半で「例の彼女」と別れて以降の私のこの10年余の人生は、余生のようなものだった。しかしそれは、そう悪くない余生だったのではないかといまは思う。そして残された余生も、きっと。





追記(はせおやさいさんへの私信)

この記事は、はせおやさいさん(id:hase0831)による↓のブログ記事にインスパイアされて書きました。
hase0831.hatenablog.jp

つまらなくて美しい、ありふれたわたしの人生 - インターネットの備忘録
10代の頃、母親と同じような人生は絶対に歩みたくないと思っていた。

専業主婦で2人の娘を持ち、働きに出るのはパートくらい、常に家に居て、子どもと夫の帰りを待つ。母親の口から父親や生活の愚痴が出るとき、それが冗談めかしたものであったとしても、幼いわたしにとってはとても心がざわつくもので、聞いているのが本当にいやだった。

自分にしかできないことを。世界を変えるような何かを。

記事中にも書いたように私は社会的な「何者か」になりたいと思った記憶がまったくなく、ひたすら「愛される父親になりたい」と願って生きてきました。私がなりたかった「何者か」とは「愛される父親」であり、それは私の「夢」だったんですね。

だからはせさんのように「普通の家庭」のことを「つまらない(しかし美しい)ありふれた人生」みたいに語られる事に対しては複雑な感情があるというか…それは私にとっての「夢」。必死に足掻いたけれど、結局手に入らなかった「夢」。

だからはせさんの記事に文句があるとかそういうのではなく…なんだろうな。「夢」はちがえどそれが叶わなかった時に訪れる最終的な境地は似ているなというか、そんなことを感じ今回の記事を書いたのでした。


いまどきこういう否定めいた長文のやりとりは流行らないので(実際、めんどくさいし)、これを追記するかはなかなか悩んだけれど、イニシエのブログ文化とはこういう物だったような気もするので、イニシエのブログ文化人のひとりであるはせさんならまぁ…ということで、あえてトラックバック(死語)を飛ばしておきます。

*1:私のブログ名どおりの自意識の高さを知る知人は意外に思われるかも知れないが。

*2:この辺の話は以前 「お見合いが、最悪の結婚制度である理由 - 自意識高い系男子」で書いた

*3:このブログでは「例の彼女」として頻出する。

*4:成り行きは長くなるので書かない。このブログの過去ログで時々書いているのでググってください。「あなた方はそこまで心底女性を愛した経験がないから、そういうことを軽々しく言えるのだ - 自意識高い系男子」とか。