あなた方はそこまで心底女性を愛した経験がないから、そういうことを軽々しく言えるのだ

実家は、苦手だ

家庭の都合で、数年ぶりに実家で一晩泊まってきた。


実家は、苦手だ。失われてしまった幸せな過去の記憶を、思い出してしまうから。


10年ほど前、当時付き合っていた彼女*1と一緒に、私は毎週末のように実家に帰っていた。やんごとなき家庭の事情から、当時の実家はほぼ空き家と化しており、立地の都合のよさと邪魔者のいない気楽さから、実家にある私の部屋は、私と彼女の愛の巣となっていた。

私と彼女は、その部屋で数年間、いろいろなことをして過ごした。花火大会から浴衣で帰宅し、デジカメ*2のタイマー機能で記念写真を撮ったあの日。彼女の就職祝いに、伊勢丹で少し奮発して新調したワイングラスで乾杯したあの日。何気ない日常のセックス。ふと思い立って焼いたパンケーキが思いがけなく美味しくできたとき、彼女が見せてくれた最高の笑顔。

玄関が、廊下が、階段が、居間が、風呂場が、台所が、便所が、そして私の部屋が。思い出したくもない失われてしまった幸せな過去の記憶を、私の脳裏に強制的に蘇らせてくる。


実家の最悪なところは、想い出が更新されていかないところだ。


彼女とデートでよく通っていた渋谷の街は、別れの当時、私にとって実家と同じように辛い場所だった。一緒に行ったカフェが、ショップが、映画館が、公園が。実家と同じように彼女との幸せな記憶を強制的に私に蘇らせてきた。

しかしそれから数年が経ち、渋谷の街並は変わっていった。一緒に行ったカフェや映画館は潰れ、新しい友人との新しい記憶が彼女との想い出を上書きしていく。そうして渋谷は、私にとってそれほど辛い街ではなくなっていった。新宿も、横浜も、青山も同じように。

しかし、実家はそうはいかない。実家は10年前と同じ姿で、いまでもそこに佇んでいる。彼女との想い出が少しでも残っている品物は、すべて処分した*3。私の部屋も、いまは父親が使っているので、当時の面影はまったくない。しかしそれでも間取りを変えることはできないし、廊下も階段もそこに置かれた家具類も、当時のままだ。そうした変わらない者達が、不意打ちのように私の記憶を蘇らせてくる。


なぜ私は、彼女を手放してしまったのだろう。


彼女は私のことを、自慢の彼氏だ完璧な彼氏だと一点の曇りもない眼差しで言ってくれていたし、それは私にとっての彼女も同じだった。最近付き合ったとある女性が、私の欠点だと罵った部分を、彼女は受け入れてくれていた。一般的に欠点と思われるであろう彼女の部分を、私は愛おしいと感じていた。私たちは互いの長所を認め合い、欠点を赦し合う、理想的な関係の中にいた。あれ以来、同じ気持ちを感じ合うことができる女性になど、私は一人として出会っていない。一人として。

新しい女性と付き合うたび、彼女とは違うと感じてしまう。新しい女性と付き合うたび、彼女の素晴らしさを再認識してしまう。彼女のように愛し合える女性になど、私はもう、生涯出会うことは無いのだろう。


「新しい女性と付き合えば、昔の女性のことなどどうでもよくなってしまう」という話をしばしば耳にする。妬ましい。「そこまで心から愛し合えた女性がいるなんて、それだけで幸せなことだ」という話をしばしば耳にする。なにが幸せなものか、と思う。

あなた方はそこまで心底女性を愛した経験がないから、そういうことを軽々しく言えるのだ。

*1:このブログの読者ならご存知の、私が人生で一番好きだった、あの彼女。

*2:当時はまだケータイの写真機能が貧弱だった。

*3:あまりにも辛いので。