新しい友人ができた。かの人の名前とは関係無く、ここでは仮に『A』としておく。
Aと私は、人間としての性質が全く違う。職業・学歴・年齢・生い立ち・人生観・趣味・人生の主軸としている営み。どこを取ってもまったく接点がなく、お互いに「これまでの人生でまったく出会って来なかったタイプ」と言い合うような「他者」だ。
それでも、Aと共有する時間は楽しい(と、少なくとも私は感じている)。そう感じることができているのは、お互い、内省的で思慮深い*1という、性格上の共通点があるからではないかと思う。
相似点よりも相違点のほうがはるかに多い私たちだけれども、その中でも特に正反対だと感じるのが、「自分への厳しさ」だ。
Aは、とてつもなく自分に厳しい。自分の現状に満足せず、常に更なる高みを目指そうとする。そうでなくては自分を許せないという気持ちも持ち併せているようだ。そんなAだからこそ獲得し得た、知性・技能・気高さ。そういった好ましい資質や社会的業績をAは持っているし、そのことを私は密かに尊敬してもいる。
だが、Aも完璧ではない。Aは自分に厳しい人間だが、その厳しさを恋人のような、極めて自分に近しい他者にもぶつけてしまう。それゆえ恋人の「甘え」を許すことができず、好きになることができないのだという。要は、「自分に厳しく、他人にも厳しい」タイプなのだ。Aは言う。
「もっと、人を赦せるようにならないといけない」*2
翻って私はといえば、この点に関して完全に正反対だ。私はひたすら「自分に甘く、他人にも甘い」。それが理想的な人間のあり方だと思っている節すらある(笑)そんな私は以前、↓のようなエントリを書いているわけだけれど。
ta-nishi.hatenablog.com
ta-nishi.hatenablog.com
先日、飲み屋でAとこの辺りの話をずっとしていたのだけれど、とても面白かった。ここまでタイプの違うふたりが今のところ大きなケンカもせず、腹を割った意見を言い合いながらも友人でいられているというのは珍しい。いや、正反対だからこそ、お互いの話をいい意味で他人事として距離を置いて聞き流し、客観的な意見を言い合えるということなのかも知れない。
今後、Aと私がどういう関係になっていくのかは、わからない。仲が深まっていくかも知れないし、疎遠になるのかも知れない。Aの他人への厳しさは、極めて近しい人間にしか発揮されないという話なので、今後、仲が深まっていったら私の「甘さ」にAがキレるという展開もあり得るのではないかと私は密かに恐れているのだけれど(笑)*3、とにもかくにもそういった不確定な未来も含め、こうした風変わりな間柄の友人ができたことが、いまはとても楽しく、嬉しいことだと感じている。