みんなが大学行くのをやめれば「大学行かなくても損しない社会」になって、大学行かなくても問題なくなる

「みんなが」大学に行くから「大卒で当たり前な世の中」になってしまう

最近、「大学の学費の話」*1 *2や、「学費が足かせとなって子供が産めない話」を立て続けに読んで、ちょっと思ったことなどを。

↑の記事、はてなには高学歴者が多いせいか、はてブでは散々叩かれてますが、言っている人間が高学歴富裕層で「お前が言うな」感が凄いだけで、言っていること自体はいたってまともだと思いました。要は「分相応」で自分の丈にあった学歴をもてればそれでいいじゃない、ということでしょう。


私は、いまの「大卒が当たり前」という風潮のほうが異常だということを前々から思っていて*3、そもそも庶民にとって「大学教育」って、そんなに必要なんですかね?

いま、大学って勉強しに行く場所ではないじゃないですか。大学で学んだ内容と就職先企業の業務内容がまったく無関係という学生は非常に多いですし*4、いまの日本の大学は、企業に「頭のよさ」を証明して就職を有利にするためと、最後のモラトリアムを満喫するために行く場所であって、大学で学んだことを、社会に出て活かすために行くわけじゃない。偏差値40台の大学などは、一体なんのために存在しているのか…といった感じですし、「大学教育」そのものは、べつに社会から求められていないんですよね。

「大学くらい出ていないと食える仕事に就けない」という意見もありますが、それはいまが「大卒が当たり前」で大卒が潤沢にいる社会だから、「上から順に採っていった結果」そうなっているだけで、「高卒が当たり前」の社会になったら大卒で賄えなくなった職が高卒に降ってきて、高卒が割を食わされることは少なくなるでしょう。言い方を変えれば、「無意味な大卒」が、高卒程度の教養で充分にこなせる仕事を奪っているわけです。


要するに、

  1. いまは「大卒でないと損をする社会」だからみんな大学に行かせようと/行こうとするけど、「高卒でも損しない社会」になったら、大学行かなくても問題なくね?
  2. 「みんなが」大学に行くから、「大卒で当たり前な世の中」になり、「大卒でないと損をする社会」になってしまう。
  3. じゃあみんなが高卒になって、「高卒で当たり前」な世の中になればいいんじゃね?

というわけです。


もう、みんながみんな大学へ行けるほど日本にはお金がないのに、「大学くらい出ておかないと」という固定概念が残っているせいで、みんなが無理をして、たいして必要でもない大学へ行こうと/行かせようとして学歴のハードルを釣り上げ、無理なチキンレースを強いられている。それが日本の現状ではないでしょうか。


日本がお金持ちだったころのメンタリティと、貧乏になった現代との齟齬

高度経済成長期やバブル期の「常識」を引きずっているせいで、貧乏になったいまの日本の現実との折り合いがつかなくなっている例はいたるところに転がっていて、今回の学歴の話や、↓の恋愛の話もそのひとつだと思います。

みんなもう日本が貧乏になったことを認め、分相応に「大学はお金持ちのエリートが行くもの」というかつての常識を復活させ不毛な競争をやめれば、高卒も不利なものではなくなり、多くの人間が「楽に」「幸せに」なれるんじゃないでしょうか。

…というか、私自身もし今後子供を持つことになったとして、いまの世情では大学に行かせることができるかわからないので、「高卒が当たり前で、高卒でも損しない社会」がきてくれたほうが、安心して子育てができるんですよ*5


みんながミクロで「自分の幸せ」を考えて競争した結果、マクロでは「幸せのハードル」が吊り上がり、みんなが苦労するようになってしまうというのは、なんとも皮肉な話です。「幸せのハードル」はできるだけ低いほうが、多くの人間が幸せになれるハズなんですけどね。

ちなみに、私の学歴は高卒です。

追記

↑の記事のブコメを見ていると、「大学に行かせること=子供の幸せを考えること」という発想の人が多そうですが、そうじゃないだろ、と思います。勉学に適性のない子供にそれを強要することは絶対に「子供の幸せを考えること」ではないと思うし、子供の適性を伸ばし、有効活用できる人生を送れるよう導き、サポートすることこそが、「子供の幸せを願うこと」ではないでしょうか。

そういう視点から考えると、「勉学ができないとそれだけでアウト」「コミュ障だとそれだけでアウト」みたいな、評価軸がものすごく狭くてまったく多様性のない社会は、親としてもの凄く恐ろしいんですよ。自分の子供が「アウト」の側だったとき、絶望するしかなくなっちゃうから。

だから私は、「大卒じゃないとアウトな社会」ではなく、「高卒もぜんぜんアリな社会」を望むわけです。

ちなみに、私の学歴は高卒です。